のぐともカナダ留学ブログ

15歳で留学開始し、カナダ11年目。 高校、大学を卒業し、現在は幼児教育者として働いています。 永住権取得済み。

語学学校

 

 

こんにちは、のぐともです。

先ほどFacebookを見てたら私が留学して間もない頃の写真がたくさん出てきて、その懐かしい思い出に浸っていました。

 

 

私がカナダに留学を始めたのは5年前の2012年の春。中学を卒業したばかりの15歳の頃です。

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今思うと本当にただの世間知らずの生意気な小娘だったと思います。留学してるってだけで自分が自立している気になってた15歳の小娘です。20歳になった今、当時のことを思い出すだけで自分に嫌気がさします。

 

私が勉強させてもらっていた語学学校は3回でも英語以外を校内で話している所を見つかるとレッドカード=強制退学、というかなり厳しいルールの学校でした。そのためか、日本人はさほど多くなく、きちんと自分が働いて貯めたお金で留学をしている生徒がほとんど。

親のお金で留学させてもらってる15歳なんて全クラス合わせても4人ほど。日本人は私ともう一人の女の子の2人でした。

 

「15歳で留学するなんて凄い」

とチヤホヤされ、歳上のお姉さんお兄さんにたくさん可愛がっていただきましたが、今考えると彼らの方がよっぽど偉いし凄い。

 

きちんと自分の目標、計画を立てた上で、自分のお金で留学をしていた彼らは15歳の私なんかよりもとっても英語に対しての意識が高く、学校の外だろうと英語しか話さない人も多くいました。

それに比べて15の私は、一歩でも学校を出ると友達と日本語のオンパレード。メキシカン、イタリアン、コリアンの中には仲が良かった友達もいましたが、どこに出かけるにも基本は日本人と行動を共にしていました。

 

それじゃあ英語が伸びるわけがない。

と思ったんですがそこはまぁさすが15歳。

大人よりも吸収はそれなりに早く、たった4ヶ月程でしたが、全く英語が話せない状態からは抜け出し、友達と会話をする程度の英語力は備わっていました。

まぁ、この程度で英語ができる気になっていた私は現地の高校に入学後に、あまりの英語のレベルの高さに痛い目を見るのですがそれはまた別のお話です。

 

私が語学学校に通っていたのは5年も前。

当時私は15歳だった訳ですが、周りの友達はすでに20歳前半から後半の人がほとんどでした。

 

そんな私は今、20歳。

当時の彼らの年齢に追いつきつつあります。私の中であまりこの5年間で大きな変化があった気はしませんが、彼らにとってこの5年間はとても大きなものだったようです。

私の知る限りでも10人ほどが結婚をし、その内の7割ほどはもう子供もいます。

 

たかが5年、されど5年。

私の中での変化は高校を卒業し、大学に入り、成人になったことですが、彼らの変化は自分の人生だけでなく誰かの人生を丸ごと変えることのできるほど大きな変化です。

 

すごく仲が良くて、いつも私を可愛がってくれていたコリアンのお兄ちゃんは、将来私と結婚するって約束してくれたにも関わらず今ではもう息子がいます (笑) 

それでも時々インスタやフェイスブックにコメントをくれて、私の心配をしてくれるので本当にありがたいなと思います。

 

もう5年も会ってないのに…

そう考えるとSNSの存在ってとても素敵だなって思います。会ってなくてもずっと繋がっていられるから。でもやっぱり実際に会いたいですね。

 

正直、彼が結婚の報告をフェイスブックにポストしたときは「えぇ!私と結婚するって約束したじゃん (笑)!」なんて思いましたが、それと同時にかなり嬉しかったのも事実です。子供が産まれた時なんかはもっと嬉しかった。

 

たった4ヶ月しか一緒に過ごすことはできなかったけど、それぐらい私にとっては大好きなお兄ちゃんだったし、それぐらい可愛がってもらったんです。

 

どれだけ一緒に過ごしたかってのは大事だと思いますが、それ以上にどれだけ濃い時間を共に過ごしたかってことが大事ですね。

もし今再会したらきっと泣きじゃくって抱きつくと思います。全然私そういうキャラじゃないけど (笑)

 

このコリアンのお兄ちゃんだけじゃなく、本当にたくさんの人に良くしてもらったんです。15歳だからという理由で色々奢ってもらったりもしましたし、知らないことも色々教えてもらいました。本当に感謝しています。

 

私が彼らにたくさん良くしてもらった分、今度は私がそのしてもらったことを歳下にしていくべきなんだろうなぁ。

 

とりあえず、あの頃のみんなに会いたくて仕方ありません… でもどう頑張ってもきっともう全員で集まることはほぼ不可能ですよね。みんなそれぞれ違う国で、違う人生を歩んでるわけですしね…

 

留学という目的にフォーカスしすぎると、ついつい日本人と距離を置きがちです。もちろんそれも時には大事だと思いますが、海外の人とだけではなく、日本人との出会いも大事だと私は思います。

 

留学中の出会い、特に語学学校での出会いは一期一会。一度さよならをしてしまうと数年後にまた再会、というのはかなり難しいと思います。

 

なのでこれから留学する皆さんには、「英語を勉強する」という目的だけではなく、留学中の人との出会いも大切にして欲しいです。

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のぐとも

 

 

 

共生幼児教育

 

 

こんにちは、のぐともです。

今日は久しぶりに少し真面目な記事を書かせていただこうと思います。

 

このことについて書こうと思ったのはある教育クラスで出会った本がきっかけでした。

 

Te Aotūroa Tātaki—Inclusive Early Childhood Education | New Zealand Council for Educational Research

この本はニュージーランドの幼児教育界の共生社会への考え方をまとめたものなのですが、とても大事なポイントがいくつも載っていて、これをたくさんの人が知ることによって日本もより良い共生社会に一歩近づけるのではないか、と思ったので今回この記事をまとめています。

 

少しハードですが、もしかしたら英語の勉強にもなるかもしれないので是非読んでいってください (笑)10チャプターに分かれて、共生社会について考えがまとめられているのですが、私が障がいを持つ姉として一番共感し、知っておくべきだと思ったのはチャプター9です。なので今回はこの本の中でもチャプター9の中から少しまとめたいと思います。

 

 

とりあえず原文をそのまま引用しておきます。一応、私のつたない和訳も載せておきますが、訳し方も感じ方も人それぞれなので自分が感じたように受け止めてください。

 

Inclusive education for children with disabilities and their families is premised on three key ideas:

・all children and families have the right to access and receive a quality early childhood education in thier local regular early childhood service

・all children can benefit from an inclusive early childhood educaiton

・an inclusive early childhood system is an esential component of helping create an inclusive society for all. (p. 155)

ざっくりと説明すると...

障がいを持つ子供やその家族にとって子供の共生教育とは以下の3つが大前提である。

-全ての子供とその家族が質のいい幼児教育を平等に普通のローカルのサービスで受けられる権利を持っている。

-全ての子供に得るものがある。

-共生社会を作るにあたって共生教育は重要な要素である。

 

 

8 Key factors of inclusion

インクルージョンにとって大切なポイント

 

1. Discourses of disability

2. Service policies

3. Teaching practices

4. Assessement

5. Collaboration

6. Early childhood learning environments and communities

7. Management and leadership

8. Resourcing

 

 

Do you perhaps believe that disability is an individual flaw and that "helping" children with disabilities requires fixing or treating the impairment and making them more "normal" so that they can participate more fully in society? This type of thinking about disability is, according to Skrtic (1995), very dominant in society and is influenced by medical and special education discourses of disability. These discourses locate disability within assumptions of pathology and normative differences, and see the "problems" of children with disabilities primarily as a product of their impairments. The focus, therefore, is typically on special education and other (i.e., assessment and diagnosis) and on fixing the problem or deficit (i.e., treatment and remediation). (p. 158)

障がいを欠陥と考え、障がいを持つ子供の”手助け”とはその欠陥を直すことであり、彼らをより”普通”にすることで、彼らが社会に十分に参加できるようになるという考え方は支配的で、医療や特別教育に影響されたものであるということ。そして、こういった考えは彼らの"問題"を文字通り"障害"として捉えてしまうので、特別教育や特別支援、その問題や欠点を直そうとする治療教育に焦点が行きがちになる。そのため、プログラムは子供それぞれのニーズや学習方法に沿ったやり方ではなく、個人のニーズを無視した一般的な教育がメインになってしまいます。

 

One of the outcomes of this remedial approach is that childre are labelled, perhaps even stigmatised, from an early age as negatibely different and as having "special needs", a situation that favours the attitudes and practices associated with exclusion. (p. 158)

治療教育に焦点を置いたやり方は結果として、幼い頃から子供に"特別支援"などというレッテルを貼ってしまってるわけなので、違いを浮き彫りにしてしまって逆に差別を生みやすい状況を作ってしまう気がしますね。

 

Perhaps you concider children with disabilities and their families to be victims of a tragic circumstance, or maybe sources of inspiration? The charity discourse perpetuates the idea that disability is a personal tragedy. (p.159)

チャリティーなどの慈善行為は人々に”障がいは悲劇だ”という考えを植え付けてしまい、障がいを持つ子供やその家族を不幸の犠牲者として、インスピレーションの源として見てしまう。慈善行為を見る当事者たちは”かわいそう”と勝手に哀まれたり、軽蔑されたり、すごく心配されたり、無視されたり... でも果たしてそれが障がいを持った人たちが求める反応なんでしょうか?違いますよね。つまり慈善行為というのは偏見をなくすどころか、逆に偏見を生むことが多いんじゃないでしょうか。

 

The negative assumptions and stereotypes about disability perpetuated ... tend to exacerbate such fears and prejudices in people. Therefore, the types of attitudes emanating from lay discourses relagate children with disabilities and their families to the position of "the other", a situation which makes them vulnerable to discrimination and exclusion. (p. 159)

障がいに対するネガティブな固定概念や推測は人々の先入観をさらに悪化させる傾向があり、障がいを持った子供やその家族を「自分たちとは"違う"」と決めつけ、そういった状況が彼らを差別の対象へと追いやってしまうみたいです。

 

A rights and sociocultural discourse of disability promotes the view that it is disabling attitudes and environments - not the disabilities per se - that cause disability. (p. 160)

障害を生むのは障がいそのものではなく、世間の障がいへの見方や環境でもあるんですね。

 

... special education typically favours developmental, normative and skills based approaches to assessment. These approaches highlight what children cannot do rather than what they can do. (p. 164)

障がいを持った子供達が「できないこと」に目を向けるのではなく、彼らが「できること」に焦点をおき、そこを伸ばしてあげるべき。

 

誰だって短所はあるけど、短所ばかり見ていたら長所には気づけないし、伸ばせない。短所をうまくカバーするために長所があると私は思ってます。それぞれの子供の長所を見つける手伝いをし、その長所を伸ばしてあげるカリキュラムをそれぞれの子供別に作る。実際にそれを実行するのがどれだけ大変なことかは分かっていますが、一人一人の子供と向き合ってそれぞれのニーズに合わせるからこそ長所が伸びるんだと思います。少なくとも私がなりたい教育者とはそういうことです。

 

 

 

今回まとめたのはチャプター9についてですが、この本は教育者になる前に、人として共生社会を目指す者として、とても参考になることばかりでしたし、改めて気づかされた部分も多かったです。

 

ぜひ読んでみてください!

 

のぐとも

 

 

英知持つもの英雄なり

こんにちは、のぐともです。
最近思ったこと、とういうより気づいたことがあるので今日はそれを皆さんとシェアさせてください。
 
この間クラスで子供たちの集中力についてディスカッションしている時に、1人のクラスメイトが私はADHDで〜ってパーソナルエクスペリエンスを話し出しました。そしたら他のクラスメイトも「あ、私もADHDで〜」「私の旦那もADHDなんだけど〜」とか続々と出てきて、正直ADHDを持ってる人の多さに驚きました。そしてそれと同時に、それを躊躇わずに言えるクラスメイトや環境が羨ましいな、と日本にいた頃との違いを目の当たりにした気分でした。
 
カナダの人たちってADHDだけでなく、障がい/障がい者に対してきちんとした理解や知識があるなってよく感じます。私の弟が自閉症だっていうのは何度かブログにもあげた事があるのですが、実際に話すとなると私は少しそれを言うのを躊躇ってしまいます。日本にいる時や日本人と話すときは特に。これは私の意見ですし人によって違うと思いますが、カナダの人に比べて日本人は障がい/障がい者への理解、知識があまりない気がするからだと思うんです。
 
シンプルにまとめると
日本人は
障がい者=ネガティヴ/欠点(flaw/deficit)
 
カナダ人は
障がい者SO WHAT?/uniqueness
 
結局は人によって違うので、国として一括りにまとめないほうがいいとは思うのですが、今まで私が出会った人たちでまとめると...って感じです。
 
日本で、私の弟は自閉症だ、と伝えると大抵は「あ…………」っていう雰囲気になるか、「自閉症って何?」ってなるかの2択です。だからこそ私はそう言うのを躊躇いがちでした。その「あ…………」という雰囲気がとても曖昧でどう受け取っていいのかわからないし、時には同情に似た感情に取れるから。私は障がい者だから、という理由でそういった風に見てほしくないなぁと思います。だってそれって障がい者=ネガティヴなイメージがあるって事でしょう?でも全ての障がい者がそうではないし、彼らは人として何かが欠けている訳ではなく、個性が特にしっかりしているだけ。大して障がい者への知識もないのに勝手な偏見で判断して欲しくないです。まぁ知識がないからこそ、偏見は起こるんだけどね。でもそれは知ろうとしないからでしょう?どんどん知っていって、知識を得ればきっと見方は変わるはず。
 
カナダでは本当に面白いほどに対照的なリアクションでした。ディスカッションやプレゼン時に私の弟は自閉症だ、と伝えても「え、今の聞こえてた?」ってぐらいにノーリアクション。いや、リアクションはあるけどもなんというか… SO WHAT? 「だから何?」って感じなんです。
 
海外ではそれぞれの人の個性が大事だと言いますが、日本人はみんな同じが当たり前で、少し人と違ったことをするだけで"おかしい"という見方をされます。ましてや知識のない状態だと、障がい者だということに気付かず、ただ頭の変な人と思われることが多いと思います。
 
 
無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり
有名な哲学者ソクラテスの名言の一つです。
 
無知はエゴです。自分は幸せだからそれでいいと考え、周りのことは考えない。これ、心理学者PiagetのStages of cognitive developmentの段階で言ったらセカンドステージ。周りが見えなくても許されるのは2、3歳児までです……
 
しかし、知は空虚なり!
深いですね。もう自分は十分な知識を持っていると思い込むことによって自分の視野が狭くなります。
 
英知持つもの英雄なり!
どれだけの知識を持っていようと常にもっと知識を増やそうとする姿勢が大事。もう十分知っていると思い込めば、それ以上何も学べません。自分はまだ何も知らないのだ、と常に学ぼうとする姿勢。教師に1番必要ですね。
 
 
 
ちょいと話が逸れましたが……
つまり何が言いたいのかと言うと、日本ではもっと障がい者への理解を深める必要があると思うのです。これはただの意見ではなく、障がい者を持つ身内としての願いでもあります。理解を深めるためにはまず知識が必要です。一人一人の知ろうとする努力も大事ですし、もっと私達をそういった知識に目を向けさせる社会であるべきだと思います。
 

 

少しでも障がい者へのネガティヴなイメージをなくすため、きちんとした理解を増やすために日本はもっとinclusive schoolsを作って小さい頃から実際に障がい者と触れ合う機会を多く持つことが必要ではないかと思います。いつか日本で教育者として働ける日が来たらこれを実現できるように今をもっと頑張ります!

 

のぐとも

プロジェクト

 

こんにちは、のぐともです。
最近は特に何かスペシャルなこともなく平凡な毎日を過ごしています。ありがたいですね〜 平凡が1番幸せです。
 
今回はカリキュラムクラスでやったマテリアル プロジェクトの写真を公開していきたいと思います。
このプロジェクトはとってもシンプルなものでね、先生から言われたのは…
"Create something and show the process! Btw, materials should be transformed!"
いやいやいや!!!もっと説明せぇ!って最初は思いましたよ〜 
 
プロジェクトの前にworking with materialsというリーディングを読んだんだけど、簡単に説明すると…
人は見るより実際に体験してこそ、色んなセンスを鍛えます。working to materialsではなくworking with materialsと考え、working/makingのプロセスを大事にしつつ作業しましょうね〜
って事だったのね。つまり先生は私達に実際にモノを作らせてそのプロセスをビジュアル的に記録し、尚且つ前回のリーディングでanthorが書いたことに対してリスポンドしつつ、自分のプロジェクトのプロセスも説明しろって言いたかったみたいなのね
………いや、何度思い返してみても絶対最初の説明じゃ足りないですよね。あのシンプルなセンテンスからここまで汲み取った生徒を褒めて欲しいですね (笑)
 
そんなこんなで私は氷を選んだわけなんですが、氷を作るところから記録していかなくちゃいけなかったので少し面倒くさかったですね〜でも最終的には大満足な出来栄えでした! ビジュアルドキュメントのために作ったショートビデオが中々の出来でした。
 
とりあえず最初はフツーに氷を作って、太陽の光に当ててみたりぶん投げて壊してみたり色々しました。

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そ次はカラフルなビー玉をお水に入れて凍らしてみた。氷は透き通ってるし、色んな色のビー玉が綺麗に映えてました。
 
ちなみにビー玉は英語で"marbles"
最後のs付けないと大理石と間違われちゃうから気をつけてね!

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そのあとはホットウォーターを注ぐ。そしたら氷の形が変わっていって、それを見てるのがすごく楽しかったです!これは絶対子供は喜ぶと思う。

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そして更には氷とglitter glueを使って遊んでみる。glitter glueと言っても糊ってよりかはラメペンですね。

こうやって落書きしてました〜 

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そしてそれをまたまたホットウォーターで溶かしてゆく〜〜 ラメがいい感じにアイスと混ざってとても綺麗だった!これは子供のaesthetic senseを伸ばすにはいいと思います。

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たくさん作りました。

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どうやって作ったのかは自分でもわからないんですが、ムーンの形をした氷もありました!

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最初はめんどくさいアサイメントだなと思ってたけど、実際やってみたらとっても楽しくて子供になった気分でした!こういう風に先生になる人が実際に体験して、その結果を踏まえた上でカリキュラムを作っていくのが大切なんだろうなぁと思いました。やっぱり一応クラスでやるからにはそれなりの意味があるんですよね。
 
 
 
のぐとも

命の重み

 

こんにちは、のぐともです。
日本では悲しいニュースが大きく取り扱われてるみたいですね。新入社員の女性があり得ないほどの時間外労働に耐えきれず自殺されたとか… とても悲しいです。
 
私がまだ若くて、未熟で、大して社会に出たことのないガキだから言えることなのかもしれませんが、どんなに辛いことがあっても死んでしまったらそこで終わりですが、生きていれば自分次第でどうにかなると私は信じています。どんなことがあれ命を捨ててしまうのはとても勿体無いことだな、と。うつ病を発症されていたようなので、そんな事を考える余裕もないほど悩まれていたんだとは思いますが…
 
まだまだ分かってないなって、私のこの考えを嘲笑う人もいるかもしれないけど、私の個人的な考えです。誰かに自分の考えを押し付けようとは思っていません。ただ今回のニュースを通じて私が感じたことを率直に書かせてください。
 
このニュースについてツイッターなどのSNSでたくさんの方が呟いていて、その中の一つになんのために生きるのか分からなくなると書いていた人がいましたが、私はそんな大層なこと考えて生きなくていいんじゃないかなと思いました。いや、そんなこといちいち考えていたら絶対に頭爆発しちゃいますよ!それに、そもそもいくら考えたって分からない気がします。私たちが赤ん坊として生まれた時からすでにもう命は当たり前のようにあって、マニュアルなんか一切ないじゃないですか。私はただひたすら目の前のことをやっていたら、いつの間にかこの歳になってましたよ。
何のために生きるのか…うーん。
世界を変える為に生きる人もいれば、自分の子供の為に生きようと思う人もいるし、きっとペットの為に生きている人だっていると思うし、人それぞれだと思うんですよね。私たちが生きる理由に大きいも小さいもないはずですし。私が思うに、失うものは何もないって思った時が人としての終わりなのかな、と。
 
時々、生きるために働って聞くとなんか悲しくなりますね。 生きるためにお金はある程度必要だし、間違ってはいないと思うけどそれが全てじゃないはずなのに… きっとみんな小さい頃は自分の夢に向かってただひたすら走ってただけだろうに、いつから生きるために働くって考えになってしまうんでしょうか? 今の私は働くために勉強してる訳じゃなくて、ただなりたい自分になるために必要な努力をしてるだけだと思ってますが、もっと大人になって、現実を見て、この夢は叶わないと思ったら私もその夢を諦めて生きるためだけに働くようになるのでしょうか………?その瞬間にぶち当たるのが怖いです。
 
きっと私たちは歳をとって、社会や世界を知るにつれて安全な道を選んでしまうんですね… でもきっと、それでも誰も進んでないような茨の道を諦めずに最後まで進んだ人に夢は叶うんだろうなぁ、なんて思ってしまいます。でも、私はたとえ安全な道を選んだとしても最後まで夢は諦めたくないな!!なんせ私、強欲なので。
 
 
今回の件でみんな、自分たちも同じようにならないよう気をつけなきゃと言ってる人をよく見かけますが私はそれ以上に、こんな事が二度と起きないような社会に変えたいって思うことの方がとても重要な気がします。例えそれを実際に実現できる力がなくても、変えたいって思うことが大事で、変えたいって思うからにはまず自分が変わらなきゃいけない。そうすると自分に目標が出来て、生きる希望もなんとなく湧いてくる気がします。
 

やっぱりどんな理由であれ命を投げ出すことは絶対にダメだと私は思うんです。死ぬ前に、必死で生きようとしてる人の事を考えてみて欲しい。 その捨てようとしてる命は誰かにとっては喉から手が出るほど欲しいもの。自殺するぐらいなら、その命を必要としてる人にあげるべきなんじゃないかな。必死に生きている人はどんな気持ちで自殺というニュースを見ているんだろうね。

 
生きていれば変われる。けど、一度失ってしまった命は戻らない。
亡くなってしまった女性がどれだけ過酷な状況でどれだけ追い詰められていたかは私には全く分からないし、彼女のことを私は全く知らないけど、なぜ私は彼女を助けられなかったんだろうと、ふと思いました。彼女を死に追い詰めたのは会社だけが悪いんじゃなくて、きっとこういう社会が当たり前である日本のシステムにも問題がある気がしますね。彼女のように苦しむ人が出ないような社会に変えたいな。
 
みんな色んな経験をするだろうけど、私は将来教育者になりたい者として、子供たちには常に大切な人や物、生きる希望を見失わず、笑顔あふれる毎日に生きて欲しいです。
こんな社会を変えてくれ、なんて自分勝手な希望は絶対に押し付けたくない。でも、彼らがおかしいと感じたことを自然と”変えたい”と思えるようにはなって欲しい気がします。
 
 
のぐとも

真夏日

 

こんにちは、のぐともです。

また天気が悪くなってしまって最近は毎日です。

先週は雲ひとつない綺麗な空で、真夏のように暑かったんですが... 飛行機雲がこんなにはっきりと見えるぐらい雲がない真っ青な空でした!

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気温の変化に体が追いつきませんよ (笑)

まあ、1週間ほど遅い更新になるのですが、先週ビーチで読書してた時の写真を載せたいと思います。ほとんど自撮りになりますが許してください... 今回はかなり盛れたんです (笑)

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注*写真は実物とは異なります。 (笑)

 

 

あと少しで夏セメも終わり、日本帰国も近づいて来てます。

楽しみだなー

帰国までにまたこの真夏日みたいな日を味わえるといいです!

 

のぐとも

 

 

 

山梨家族旅行

 

こんにちは、のぐともです。

日本は異常に暑いですね。

 

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ちなみに日本ではニートなので、ほぼ毎日バイト三昧な生活を送っています。社員さんとほぼ同じぐらいで働いているからか、軽く新人社員さんの指導を任されました。このままここに就職できるのでは...なんて甘いことを考えるぐらいしか楽しみがなかったんですが、2日ほどお休みをいただきまして、山梨に家族旅行に行きました。家族旅行と言っても、弟は高校の陸上部の合宿でいませんでしたが。
 
まあそういうわけで、母と父と私の3人で山梨の常盤ホテルに行ってまいりました。 久々のお休みだし、温泉は気持ちいいし、超楽しかったです!

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お父さんと2ショットとか何十年ぶりか分からない...

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家族3人で撮りましたが、まさかのSNOW (笑)

次はちゃんと弟も一緒に!

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帰りはサービスエリアで美味しい巨峰ソフトを食べ、途中の桔梗屋では噂の信玄餅ソフトクリームを食べました。体重がこの4ヶ月で4キロも増えてたみたいですが、気にしません。

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美味しかったなぁ
 
 
 
 
やっぱり食べてる時が1番幸せだと思いますね。
バイト頑張ります。
 
 
のぐとも