のぐともカナダ留学ブログ

15歳で留学開始し、カナダ11年目。 高校、大学を卒業し、現在は幼児教育者として働いています。 永住権取得済み。

現代美術と幼児教育

 

 

こんにちは、のぐともです。

特に何かスペシャルな事もなかったのでブログを放置してしまいましたが、気がつけばいつの間にかセメスターの終わりになっていました…

 

今回は社会学&哲学観点から見た幼児教育のクラスであったVisual Responseというアサイメントについて詳しく説明したいと思います!というのも実は理不尽に厳しいと言われている先生のこのクラスのこのアサイメントで私なんと奇跡的にAを取ることができたんです!自分でもなかなかうまく考えをまとめられたと思うのでブログに残そうと思います。

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Visual Response

まずこのアサイメントの説明から...

先生が選んだトピックリストから好きなトピックを選び、それに関連したcontemporary art (現代美術)を探し出して、その選んだアート作品がどう社会から見た幼児教育や幼児に関わっているのか…という自分の見解を述べるアサイメントです。

 

次に現代美術の説明。

 

Contemporary Art

基本的には1970年ごろから今私たちが生きているこの時代に作られた作品のことを指します。私の調べによると... この現代アートには「芸術はこうでなくてはいけない」という概念や、「作品の作り方や、芸術家が従わなければならない」特定のルールはなく、これをzone of freedomeと呼ぶそうです。決まったアートのあり方は存在しないため、社会的、文化的、政治的、そして宗教的な一般的にはタブーとされているトピックにもアート作品を通して言及する芸術家も多くいます。つまり現代アートはそういった物議をかもす問題を具現化されたものでもあるのです (Stallabrass, 2016).

 

Modern Art & Contemporary Art

Contemporary Art が現代アートと呼ばれているのに対して、このmodern artも現代美術、近代美術と呼ばれるのですが一応その違いはあります。まずmodern artは第二次世界大戦前に作られた作品たちのことを指し、contemporary artは大戦以降に作られた作品たちだということ。

そして第二に、modern artはありきたりなテクニック(painting, drawing, sculptures)などが使われるのに対して、contemporary artはもっとバラエティ豊かな手法にオープンだということ。例えばビデオやパフォーマンスなど。

そして第三に、contemporary artは作品を作り終えたことが作品の完成ではないこと。

"the audience [become] an integral piece in the creation of the maning and reflections of the created works" (Silka P, 2017, para. 4).

つまりその作品を見たお客さんたちのリアクションも含めてやっと作品の完成になるといった形です。

 

ではそのcontemporary artがどう教育(pedagogical role)に関連してくるのか?

これは私の考えですが、幼児教育とこの現代アートには"答えがない”、そして"speakingという手段以外の方法で声を発している”という共通点があると思います。さっき私が説明した通り、現代アートの芸術家には作品を作る上でのルールがありませんし、作品を通して自分たちの声を上げています。幼児教育も似ていて、教育方針に正しいも間違いもありませんし、全ての子供が100 languagesを持っていてspeaking以外で声を発する方法を知っています。なのでcontemporary artを理解することによって、私たち大人が子供の見えない声にもっと耳を傾けることができるのではないかと思っています。

 

さらにcontemporary artにはすでに現代の社会にあるnorms (規範)を見直す機会をくれていると思います。現代アートの芸術家たちは色々な問題に作品を通して私たちに「何を規範として見ているか」「私たちの今の社会がどうその規範によって構築されているのか」を深く考えさせてくれます。そして幼児教育でも、「そういった規範がどう私たちの教育実践や子供のイメージに影響を与えているのか」を気づかせてくれると思っています。

 

 

長くなってしまいましたがここからが本題!

色々なトピックから私が選んだのはNorms

直訳すると規範。何が普通として見られているか、という基準です。

 

そのnormsがどう幼児教育に関わってくるのか...

それを説明するために私が選んだcontemporary artはこちらです。

セラミック彫刻で創られた In Me という作品。


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Johnson Tsang

香港人の、セラミック彫刻で世界的に有名な芸術家です。

インタビューによると、彼は芸術家になる前に警察官として13年間、その後は陶芸の先生としても働いていたそうです。こういった経験も彼の作品を作る上での貴重な一部だと語っています。

 

私はこの彼のアート作品から、社会の多くの人が持つ子供のイメージの規範に対しての挑戦を感じました。もちろんアートというものは見た人によって解釈の仕方は違うので、全員が私と同じ考えだとは思いません!

 

この作品を見たまま説明すると、幼い子供が大人の脳という意味での鳥かごに閉じ込められ、不機嫌そうな顔をしているのがわかります。これは「どんなふうに子供が大人たちによって見られているか」それと同時に「そんな大人たちに子供がどう制限されているか」を示しているのではないか、と私は感じました。

 

“Children’s lives are lived through childhoods constructed for them by adult understandings of childhood and what children are and should be” (Mayall, 1996:1, as cited in Dahlberg, Moss, & Pence, 2013, p. 46).

 

「子供はこうであるべきだ」「幼少期とはこうであるげきだ」という大人の理解の上で子供は生活しています。子供は周りの環境や人から簡単に影響を受けます。もちろん大人が抱く子供のイメージも簡単に子供たちに影響します。そして幼児教育者が持つ子供のイメージは教育実践や幼児教育自体の構築に影響を及ぼします。

 

よくありがちな子供のイメージは

The image of the child as reproducer of knowledge, culture, and identity, and as an empty vessel that needs to be filled (Dahlberg, Moss, & Pence, 2013).

子供は知識、文化、アイデンティティーの再現者であり、満たす必要のある空の容器であるという考え方。このアート作品の中で、子供が空の鳥かごの中にいる様子は、私にこの典型的な子供についての理解へのを挑戦を感じました。

 

もし幼児教育者がこのように子供を見ているとしたら、私たちの教育実践は「子供の知識を埋めるためのアカデミックな学習教育」に焦点を置きがちになります。つまり教師という立場は子供に教える(teaching)ためだけの存在だという認識になってしまいますが、私が思う教師というのは子供に教えるのではなく、子供と共に学び、時には子供から学ぶ(learning from and with children)ものだと思っています。

 

なので、この作品は私たちに「社会の中にすでに存在する子供のイメージ」に気づかせ、「子供は空っぽで大人がそれを埋める必要がある」という典型的な考え方を見直すきっかけをくれていると考えました。

 

そして次に「子供は純粋である」という社会の理解がどう「私たちが子供たちを守らなきゃいけない」という考えに至っているのかをこの作品は伝えているような気がしました。

 

大人は自分たちが持つ子供のイメージによって簡単に過保護になることができます。そして、「子供は純粋で大人が守らなきゃいけない存在だ」といった認識は教育者の視野を狭めます。視野だけではなく、子供たちの可能性や才能の幅も狭めてしまい、学ぶ機会も減らしてしまうことになります。

 

この作品を見ても分かる通り、子供は大人の脳という鳥かごの中に閉じ込められて悲しそうな表情をしています。私の推測からすると、これは子供の本当にやりたいことが鳥かごという狭い中で制限されてしまっているからじゃないでしょうか?さらに、この作者は子供に白い羽を与えることによって、子供は純粋であるというイメージをうまく表現していると感じました。そしてその子供を大人の脳という鳥かごに閉じ込めることによって、子供のやりたいことや、子供が今後どうなるか、ということが大人に狭められている現実を表していると思います。

 

結論をまとめると、社会的に作られた規範というものは幼児教育の構築だけでなく、子供自身や幼少期の構築にも深く影響してい流ことがわかります。規範というものは私たちが何かをするときのガイドラインのようなものですが、その存在は結局は「社会が何を規範としてみなすか」ということに基づいているため、規範そのものは真実ではありません。

 

幼児教育の中で、こういった社会的に作られた規範は典型的な子供イメージを作り上げてしまいます。そして、その子供への理解は幼児教育者としての実践に関わってきます。例えば、クラスルームのデザインや構造、マテリアル、カリキュラム、そして先生と子供間の関係性など。そのため、幼児教育者にとって「どう私たちの子供のイメージが社会によって形成されているのか」「どうそれが私たちの実践に影響を及ぼすのか」を認識する必要があると感じます。

 

そしてその認識を促してくれるのが、この作品 In Me by Johnson Tsang です。この作品は「どんな子供のイメージが社会によって規範とみなされ、私たちに定着しているのか」「どう子供の可能性がそういった典型的な子供についての理解によって制限されているか」といった考えを視覚的に具現化し、社会の私たちに挑戦してくれています。

 

この作品を分析することによって私自身、子供の見方や幼少期への理解が変わった気がします。ぜひ皆さんも自分なりにこの作品を分析し、新たな幼児教育のあり方を考えてみてください!

 

のぐとも

保育士は誰にでもできる仕事なのか

 

こんにちは、のぐともです。

最近ツイッターで軽く炎上したらしいホリエモンこと堀江貴文さんのとあるツイートについて今回は私なりの意見をまとめてみようと思います!

 

その問題となったツイート。

朝日新聞デジタルさんの

「なんで保育士の給料は低いと思う」低賃金で負の循環

という記事に対しての引用ツイートで

「誰でもできる仕事だからです」

 

このツイートに対する意見はツイッター上でも賛否両論でした。

「国家資格が必要で命を預かる仕事だから誰にでもできる訳ではない」と主張する人もいれば「子供の扱いが上手ければ誰にでもできる」と主張している人もいました。意見は様々です。このブログを見てくださってる皆さんはどうお考えでしょうか?

 

純粋に保育士/幼稚園教諭を目指していた昔の私ならこの彼の発言に対して不快感を覚えたと思います。しかし大学で幼児教育を色々な分野/学部の視点から考えてきた今は不思議とこの発言に不快感を覚えることも、怒りを覚えることもありませんでした。むしろ日本の幼児教育システムを冷静に見直すきっかけをもらいました。

 

なぜなら私がなりたいのは、保育士/幼稚園教諭ではなく幼児教育者だからです。もちろん子供と触れ合う仕事という面では全く同じ職種です。しかし幼児教育をどう見るかによってその呼び方は変わってくると思います。

 

以前のブログ(社会から見た幼児教育)でも少し触れたように、例えば保育園や幼稚園を「子供を預けるただのサービス」として認識しているのであれば私達の仕事は保育士/幼稚園教諭として呼ばれると思いますが、逆に保育園や幼稚園を社会が「子供の社会性や表現力を伸ばす早期幼児教育」であると考えていれば私達は幼児教育者と呼べると思うのです。

 

つまり、やはり日本ではまだ保育園や幼稚園は「子供を預けるだけのただのサービス」としてしか見られてないって事がこのホリエモンさんの発言から改めて分かったわけです。さらに社会から見た幼児教育者の役割もただのケアギバー(子供の世話をする人)としてってことでしょう?だから「誰でもできる」という認識に至る。実際、心の奥でこのツイートと同じ考えをしている人は多いと思います。

 

私はこのツイートに怒る程ではないな、と思いました。 ホリエモンが悪いというよりそう思わせる社会に問題があると思いますし、そもそもこのホリエモンの発言自体、彼の幼児教育のイメージから出たものなのか、それとも客観的に社会全体を通して見た幼児教育を示して言ったものなのかは定かではないので。

 

ただ、どちらにせよ思うことは沢山あります。そもそも本当に誰にでもできるのであれば保育士/幼稚園教諭なんて仕事は必要ないんじゃないでしょうか?

 

保育園や幼稚園をただのサービスとしてしか見ていないのであれば、子育て経験のある親を集めて預かり保育でもすればいいわけですし、仲良しのママ友同士で子供の預け合いをしていた方がお金もかからなくていいのでは?つまり、まず子供を保育園/幼稚園に預ける本当の理由を考える必要があると思うのです。

 

なぜ子供を保育園や幼稚園に預けるのですか?
親が働くため?小学校前の準備のため?それとも、みんなが行かせるからそれが当たり前だと思ってますか?

 

幼稚園も保育園もまだ義務教育ではありません。つまり行かせる必要はないのです。本当に子供のためを思って行かせるなら別として、「誰にでもできる」という認識を持っているのであれば、わざわざ高いお金を払って、必死になって空きのある保育園を探して保育士に預ける必要はないのではないでしょうか?

 

もし自分が親で、働かなくてもいい、又は全く忙しくない状態で、さらに保育園/幼稚園=小学校前の準備という考えが社会に存在しない状況だったとして… それでも保育士や幼稚園教諭に子供を預けますか?もしそれでも預けるというのであれば、なぜ預けるのですか?
それを考えていく先に本当の保育園や幼稚園の存在意義が見つかるのかな、とも思います。

 

このツイートを通して、日本の幼児教育の現実を改めて知る事ができました。でもこれはただの現実に過ぎなくて、これが限界ってことではありません。

 

私達の考え方、行動次第でどうにでも社会の幼児教育システムを変えていけるのです。もちろん今まで慣れ親しんだことから新しいことにチャレンジすることは面倒ですし、大変なことです。

 

しかし、幼児教育だけでなく、私達は常に自分たちに「これがベストなのか?」と問いかける事が必要だと思います。すでに社会の中で私達の隣にあるのは私達本来のベストではなく、妥協した上で成り立ったベストなのです。

 

つまり、このホリエモンの発言に怒り、感情的になる事よりもまず、これからどう日本の幼児教育システムや幼児教育に対する考え方を改善していけるのかということに焦点を置いたほうがいいのではないかな、と私は思いました。

 

のぐとも 

Feeling the fall vibes

 

 

こんにちは、のぐともです。

またまた久々の更新となってしまい申し訳ないです… こんな不定期なブログにも関わらず毎回読んでくださってる方々、ありがとうございます! ぜひぜひコメントもしていってください :D

 

最近やっといくつかの課題の提出が終わり、来月中旬までに残ってる課題は90分セミナープレゼンテーションのグループワークだけとなりました!本当にやっとブログを書く余裕ができましたよ…

 

今回の記事はとりあえず最近撮った秋のバンクーバーの写真をあげていこうと思います!

 

最近は晴れたり、雨が降ったり… 忙しい天気です。でも晴れてても雨が降っていてもバンクーバーの色んなところで秋の雰囲気を感じられます!木や葉っぱが赤色や黄色に色づいていてとっても綺麗です!写真映えします :)

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Feeling the fall vibes!

 

Vibesってワードはスラングで、雰囲気などの意味合いで使われます。最近は日本でも若者言葉で「バイブス高まる(テンション高まる)」的な言い方が流行ってるみたいですが、まぁどちらも若者言葉で似たようなものですよね (笑) ただテンションと雰囲気では意味が違ってくるので、日本で使ってる意味と全く同じ感覚で海外でこのワードを使うと少々意味が通じなくなると思うのでご注意を!

 

 

のぐとも

 

 

 

Thanksgiving

 

こんにちは、のぐともです。

とうとうバンクーバーも本格的に寒くなってまいりました… そして私は4つのペーパーと2つのグループプレゼンがハロウィン周辺に固まってしまい多忙な日々を過ごしています……

とは言っても以前のブログでも書いたように、生き急いでいる人間なのでもうほぼ全てのペーパーは終わらせました!割と本気出せばいけるもんですねー!

 

そんなこんなで今回は少し前に戻ってThanksgivingについてまとめます!

 

今年もたのしかったです!

やっぱり安定の親友ですね〜 今セメは2つも同じコース取ってるので一緒に居られる時間が長くて幸せです!

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親友の飼ってるわんちゃんも可愛かった〜 もうすっかり私にも懐いてくれてます (笑)

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みなさんはどんなthanksgivingを過ごしましたでしょうか? 私は大好きな友達と過ごしながら、たくさんの人とめぐり逢えたことに主に感謝しました。カナダに来る前も後もそうですが、つくづく私は友達に恵まれているなと思います! 何も言わなくても私が困ってたら助けてくれる友達ばっかりで本当に幸せです。

 

これを親友やカナディアンの友達に言ったら「当たり前でしょ。そもそもあなたが私に話しかけてくれたから今があるのよ。あの時話しかけられなければ今のこの関係はきっと無かったし、こんな面白いあなたを知ることもなかった。感謝してるのはこっちの方よ。いつも笑わせてくれてありがとう」って言われました… 泣きそう…泣きそうだよ!!!

 

なんていい人なんだ…

でも確かによく考えてみたら今私が仲良くしてる友達ってみんな私から積極的に話しかけた人達なんです。1人の子に限っては名前も知らないけど見かけたことある!って程度で話しかけましたし (笑) でも今ではクラスで常に一緒にいるほど仲良し… ムダにフレンドリーで物怖じしないこの私の性格もなかなか役に立ちますね!

 

本当に素敵な友達との出会いに感謝します。

のぐとも

夏と秋。

 

こんにちは、のぐともです。

ここ何日か暖かくて晴れた日が続いています!

気温的には最近はまだまだ夏気分...

でも外を歩けばきちんとそれなりに秋の雰囲気も感じられます。夏が終わって秋に移りつつあるこの感じがなかなか好きです。そんなこんなで今日は天気も良く、時間に余裕もあったので2時間ほどカメラを片手に散歩に出ました〜

 

秋の訪れ。

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こちらは夏っぽい写真。

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ちなみにウエストバンの人気のないビーチをパノラマ写真で撮ったらこんな感じになりました! 伝わりますか? (笑)

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ちなみにこれは昨日の写真。(iPhone 7での撮影)

あまりにも良い天気だったからか、カモメも海を眺めてのんびりしてました。不思議とカモメの背中が何かを語っているように見える...

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そして本日の散歩中にたまたま発見!

可愛いデザインのハウスゲート!

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散歩に行く前にはこんな神秘的な光景も目撃!

ダウンタウンからウエストバンに帰るバスの中から撮影。ライオンズゲートブリッジの上をちょうどバスが通ってる時だったんですが、海の上だけ白い霧?みたいなのに包まれてて不思議な感じでした!本当に海の上だけ覆われている感じ。バスが途中、霧の中に入っていったときは周りを見渡しても霧しか見えなくて、あぁ天国ってこんな感じなのかな?なんて考えてました (笑)

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秋の訪れ...をタイトルにしたかったところですが、今日の暑さはなかなか夏並みでしたので『夏と秋』にしました!このままこの素敵な天気が続いて欲しい!と思っていましたが残念ながら明後日からは雨予報。すっかりおなじみのレインクーバーに戻りそうです。

 

のぐとも

社会から見た幼児教育

 

こんにちは、のぐともです。

今セメスターはやることが多すぎてついブログを放置してしまいました… また来月から忙しくなるんですが、時間を見つけてちゃんとブログも更新していこうと思います!

 

今回は私の専門分野、幼児教育について。特に社会から見た幼児教育について少し考えをまとめていきます。

 

突然ですが!質問です。

なぜ幼稚園や保育園が必要だと思いますか?

何のために存在していると思いますか?

Why do you think we have daycare centres/preschools?  

 

この質問に対する回答は、幼児教育を勉強している人とそうでない人でかなり分かれると思われます。実際にこの質問をクラスのアクティビティの一環として、学校内にいる他学部の学生たちに聞いてみたところ…

→子供の教育のため

→小学校への準備のため

→親が働きに出るため

→ビジネスのため

 こういった回答が多くみられました。

 

ちなみに幼児教育をそれなりに学んできた人たちの回答はこちら。

→子供の社会的交流のため

→社会スキルを身につけるため

→多様性を学ぶため

→可能性/好奇心を広げるため

→長所を伸ばすため

などなど。

 

このような違いが出ました。

もちろん分野を学んできた人たちの方が内容が詳しくなるのは当たり前ですが、私たちレッジョエミリア方針の幼児教育を学んでる人は、保育園や幼稚園がただ子供の小学校への準備のためであったり、子どもを預かるサービスとしての認識を持つことは教育者としてあまり良くないことだと教わります。なぜなら、その認識の違いでカリキュラムや私たち教育者の子供への対応も変わってくるからです。

 

例えば教育者及び学校側が、幼稚園は小学校への準備期間であるという考え方をしているとします。すると子供が幼稚園で学ぶことは主に学習に焦点が置かれます。言語(アルファベット、ひらがな、カタガナ)の基礎であったり、数字を使った算数の基礎であったり... それが悪いことだとは言いません。そういった幼稚園もあるべきだと思うし、むしろそういった所に子どもを預けたい親御さんもいることでしょう。

 

しかしアカデミックな学習だけに焦点を置いた教育は子供の本質を見ることができません。子供の心に触れることもできない、と私は思います。だって、そういった環境の中にいる教育者は子どもの表面だけを見て判断し、一括りに"子ども”としか見ておらず、子ども個人個人に目を向けられないからです。だから、クラス内の子供全員に同じことをやらせ、同じ結果を求め、毎年同じカリキュラムを繰り返す。それぞれ子供は生まれ育ってきた家庭環境も、成長のスピード、学ぶペース、長所短所、ポテンシャル、モチベーション、興味のあることも違うのに。違って当たり前なのに同じ結果を求めてしまうが故に、子供個人の可能性を潰してしまっていると思います。

 

もちろん子供一人一人にその子だけの教育をするのは難しいです。でもクラス全体で一緒にやるアクティビティの中にも子供それぞれの可能性を引き出してあげることは可能です。

 

例えば、折り紙を使って遊ぶ場合。

多くの幼稚園は先生が「折り紙で家を作りましょう」と結果を設定し、一人一枚ずつ折り紙を与え、先生が見本を見せ、全ての子供たちに同じ手法で折り紙の家を作らせがちです。これではどの子が作る家も同じに見えるでしょう。オリジナリティはほぼ明確には発揮されませんし、子供の想像力を伸ばすこともできません。

 

では、色も形もサイズも違うバラエティ豊かな折り紙や他のマテリアルも用意し、自分が好きな分だけ使っていいのだとしたら?さらに先生が「私はこうやって折り紙で家を作るけど、みんなはこの折り紙を使って何をする?」と聞けばきっと子供たちはそれぞれ色も形もサイズも違う家を作るでしょうし、中には家ではなく別のものを作る子や、他のマテリアルと合体させて遊ぶ子もいるでしょう。協調性がない、と批判する方もいるかもしれませんが、私はこちらのやり方の方がそれぞれの子供がそれぞれの個性を持つことができると思います。それに”折り紙を使う”という点では同じことをしているわけですし!

ただ中には折り紙で遊びたくない子もいるでしょう。その時には私はその子に強制して無理やりやらせたりはしません。やりたくない子はやらなくていいんです。自分でやりたくなったら参加すればいい。興味のないことをやったところで記憶にも残らないですし、何かを得ることはまずないと思ってます。やっているうちに興味が湧いてくれば別ですが... 私たちも何かをきちんと学んだり、得たりするにはそれなりのモチベーションや好奇心、インスピレーションが必要ですしね。子供も私たちと同じ、なんら変わりない人間です。

 

もっともっとたくさん語れるのですが、今回はこの例だけにします。本当に止まらなくなっちゃうので (笑)

 

つまり、保育園や幼稚園は小学校への準備期間という見方や、ただ親が働きに出るために子供を預けるだけの"サービス"としての見方よりも、実際はもっと深く、子供達が密度の濃い社会的体験をできる場なのです。そこらへんをよく踏まえた上で、幼稚園や保育園の存在意義について社会がもう少し深く考えればより良い質を導くことのできる幼児教育の環境を作れるのではないか、と思います。

 

また時間がある時に、世界中の幼児教育界が注目するイタリア、レッジョエミリアの教育方針についてまとめますね :)

とうりあえずは今セメスターを乗り切ることに集中します!

のぐとも

 

ポジティブシンキング

 

こんにちは、のぐともです。

夏休みが終わり、セメスターが始まり… ギャップについていけず病み期に入っていましたが何とか抜け出しました〜

毎セメスター、始まりはいつもこうなんですよね。でも始まったばかりなんだから分からなくて当たり前だし、分かるまで努力すればいいだけの話!ってところにおさまりました。

 

Education is the passport to the future, for tomorrow belongs to those who prepare for it today.

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この名言を胸に生きます。

海外の大学生はパーティーピーポー!なイメージがある方も多いみたいですが、はっきり申し上げましょう。それは嘘です。ミュージカルやドラマの中だけのストーリーに過ぎません (笑)

日本の大学に比べたら入るのは簡単ですが、卒業するのが大変です。 なぜならカナダが求める人材というのは「どこの大学を出たか」で決まるわけではなく、「大学で何を学んできたか」で見極められるから。だから大学に入った後が大変なのです。

 

楽あれば苦あり苦あれば楽あり。

本当この通りですね。

常に楽をして生きたいのであれば、宝くじを当てるしか方法はない気がします。まぁ宝くじに当選したところで幸せが手に入るのかと問われれば答えられませんが…

 

いくら現実逃避をしたって自分が行動を起こさない限り、ポジティブに変わることはほぼないと思ってます。だったら、もし結果としてネガティヴになるかもしれなくてもチャレンジしてみるべきではないでしょうか? 行動を起こさなければネガティヴにしかならないけど、行動を起こした場合はポジティブにもネガティヴにもなりうる!可能性は五分五分です。ならチャレンジしてみるほかないですね!

 

スラムダンク安西先生の名ゼリフ。
「諦めたらそこで試合終了ですよ」

このセリフも宝くじも同じ。

宝くじは買わなきゃ当たらない。買わない時点で試合は始まってすらいないし、買い続けなければそこで試合という名の夢は終わり。

さらに勉強でも同じことが言える。

勉強もやらなきゃ楽しみは分からないし、夢への道のゲートすら開かない。やらないor諦めた時点で将来の夢への道は閉ざされる。だったらもう勉強をやり続けるしかないし、宝くじも買い続けるしかない。だってやらなかったら状況は何も変わらないんだもの!宝くじは買わなきゃ当たらないんだもの!!


自分に自分が言い聞かせてるんですが、よく分からなかなってきたのでこの辺でこの説明は辞めますね (笑)

 

とりあえず、どんなに苦しかろうがやるしか道はないんです!私にならできる!!

これを言い聞かせて、自分に暗示をかけていこうと思います。

 

行き詰まった時はね、少し外を散歩して夕日をぼんやり眺める。私はこれをやるようにしてます。夕日を見てると何もかも忘れられるのでオススメ。だけど雨の日の散歩ほど気持ちが落ちるものはないので、雨の日はオススメしません (笑)

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皆様にウエストバンの綺麗な夕日をおすそ分けです。

 

のぐとも