憎しみに勝る愛を

もうすぐカナダ留学6年目。バンクーバーの大学生。

英知持つもの英雄なり: 10/26/2016の移行記事

こんにちは、のぐともです。
最近思ったこと、とういうより気づいたことがあるので今日はそれを皆さんとシェアさせてください。
 
この間クラスで子供たちの集中力についてディスカッションしている時に、1人のクラスメイトが私はADHDで〜ってパーソナルエクスペリエンスを話し出しました。そしたら他のクラスメイトも「あ、私もADHDで〜」「私の旦那もADHDなんだけど〜」とか続々と出てきて、正直ADHDを持ってる人の多さに驚きました。そしてそれと同時に、それを躊躇わずに言えるクラスメイトや環境が羨ましいな、と日本にいた頃との違いを目の当たりにした気分でした。
 
カナダの人たちってADHDだけでなく、障がい/障がい者に対してきちんとした理解や知識があるなってよく感じます。私の弟が自閉症だっていうのは何度かブログにもあげた事があるのですが、実際に話すとなると私は少しそれを言うのを躊躇ってしまいます。日本にいる時や日本人と話すときは特に。これは私の意見ですし人によって違うと思いますが、カナダの人に比べて日本人は障がい/障がい者への理解、知識があまりない気がするからだと思うんです。
 
シンプルにまとめると
日本人は
障がい者=ネガティヴ/欠点(flaw/deficit)
 
カナダ人は
障がい者SO WHAT?/uniqueness
 
結局は人によって違うので、国として一括りにまとめないほうがいいとは思うのですが、今まで私が出会った人たちでまとめると...って感じです。
 
日本で、私の弟は自閉症だ、と伝えると大抵は「あ…………」っていう雰囲気になるか、「自閉症って何?」ってなるかの2択です。だからこそ私はそう言うのを躊躇いがちでした。その「あ…………」という雰囲気がとても曖昧でどう受け取っていいのかわからないし、時には同情に似た感情に取れるから。私は障がい者だから、という理由でそういった風に見てほしくないなぁと思います。だってそれって障がい者=ネガティヴなイメージがあるって事でしょう?でも全ての障がい者がそうではないし、彼らは人として何かが欠けている訳ではなく、個性が特にしっかりしているだけ。大して障がい者への知識もないのに勝手な偏見で判断して欲しくないです。まぁ知識がないからこそ、偏見は起こるんだけどね。でもそれは知ろうとしないからでしょう?どんどん知っていって、知識を得ればきっと見方は変わるはず。
 
カナダでは本当に面白いほどに対照的なリアクションでした。ディスカッションやプレゼン時に私の弟は自閉症だ、と伝えても「え、今の聞こえてた?」ってぐらいにノーリアクション。いや、リアクションはあるけどもなんというか… SO WHAT? 「だから何?」って感じなんです。
 
海外ではそれぞれの人の個性が大事だと言いますが、日本人はみんな同じが当たり前で、少し人と違ったことをするだけで"おかしい"という見方をされます。ましてや知識のない状態だと、障がい者だということに気付かず、ただ頭の変な人と思われることが多いと思います。
 
 
無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり
有名な哲学者ソクラテスの名言の一つです。
 
無知はエゴです。自分は幸せだからそれでいいと考え、周りのことは考えない。これ、心理学者PiagetのStages of cognitive developmentの段階で言ったらセカンドステージ。周りが見えなくても許されるのは2、3歳児までです……
 
しかし、知は空虚なり!
深いですね。もう自分は十分な知識を持っていると思い込むことによって自分の視野が狭くなります。
 
英知持つもの英雄なり!
どれだけの知識を持っていようと常にもっと知識を増やそうとする姿勢が大事。もう十分知っていると思い込めば、それ以上何も学べません。自分はまだ何も知らないのだ、と常に学ぼうとする姿勢。教師に1番必要ですね。
 
 
 
ちょいと話が逸れましたが……
つまり何が言いたいのかと言うと、日本ではもっと障がい者への理解を深める必要があると思うのです。これはただの意見ではなく、障がい者を持つ身内としての願いでもあります。理解を深めるためにはまず知識が必要です。一人一人の知ろうとする努力も大事ですし、もっと私達をそういった知識に目を向けさせる社会であるべきだと思います。
 

 

少しでも障がい者へのネガティヴなイメージをなくすため、きちんとした理解を増やすために日本はもっとinclusive schoolsを作って小さい頃から実際に障がい者と触れ合う機会を多く持つことが必要ではないかと思います。いつか日本で教育者として働ける日が来たらこれを実現できるように今をもっと頑張ります!

 

のぐとも