バンクーバー高校大学留学日記。

カナダに留学してから早6年。ウエストバンクーバーの高校を卒業後、今も変わらずバンクーバー内で大学生をやっています。

蜘蛛の糸

 

こんにちは、のぐともです。

実習開始から早くも3週間が経過しようとしています… 時間が経つのは早いですね〜。最近になってやっと毎日の課題にも慣れてきました。あと1週間がんばります!

 

そんな実習真っ只中な私、実習先の先生たちと今日は「本」の話をしました。どんな本を読んで育ってきたか、どんなストーリーが好きだったか、なぜそのストーリーが好きだったか…などなど本にまつわる色んな思い出話をランチタイムにシェアしました。

 

そこで私が思い出した本が芥川龍之介作の「蜘蛛の糸」という作品。知っている人が多いと思っていたんですが、実は意外とストーリーを知っている人って少ないんですよね…

 

読んだことない方はぜひ読んでみてください。そしてあなたなりの解釈をシェアしてくれると嬉しいです!

↓こちらで無料でストーリーを読むことができます。

芥川龍之介 蜘蛛の糸

 

 

小学校高学年以降は本を読むことにハマり、最近では読んだ本の感想文をノートに書き留めるぐらい読書が好きなのですが、小さい頃は活発で外で遊ぶのが好きだったのであまり本を読んでもらう機会も、自主的に読む機会もあまりありませんでした。

 

しかしそんな中唯一記憶に残ってるのが芥川龍之介の「蜘蛛の糸

 

何がそんなに刺さったのかは分かりません。基本、本というのは何回か繰り返し読まない限り記憶が薄れていくものだと思っているのですが、蜘蛛の糸に関しては何度も読んだ記憶がないのにもかかわらず今でも鮮明に覚えています。

 

当時の私は「あぁ、自分の事だけ考えて他の人のことを思いやらなかったから糸は切れてカンダタは結局地獄に逆戻りしたんだろうなぁ」と考えていました。つまり教訓的には「自己中心的でなく、他人を思いやる心が大事」という事を伝えているんだと子供ながらに感じだ記憶があります。

 

しかしなぜか5年ほど前にふとこのストーリーを思い出してからずっと「この本が本当に伝えたかったこと」って何だろう、と疑問に思い始めました。

 

ストーリー

極楽のお釈迦様が池の水を通して地獄の様子を伺っている時にカンダタという男を見つけます。カンダタは生きている時に悪いことをたくさんした為、地獄に送られましたが、お釈迦様はカンダタが一度だけ良い行い(蜘蛛を助けた)をしたことを思い出し、一度だけチャンスをあげようと地獄に一本の蜘蛛の糸を垂らします。それを見つけたカンダタはせっせと糸を登り、極楽まで後一歩の所まで来た時にふと下を向くと他の人たちもカンダタの後に続き蜘蛛の糸をせっせと登っていることに気付きます。それを見たカンダタは糸が切れる不安もあり、彼らに向かって「この蜘蛛の糸は俺のものだ!みんな降りろ!」と叫びます。そして、そう叫んだ瞬間にカンダタのぶら下がっているところから突然糸が切れ、全員地獄に落ちていくのです。

 

 

簡単に説明するとこんな感じのストーリーで、今読んでみても普通にこの本の教訓は「自分だけでなく、他人を思いやることの大切さ」を教えてくれているような気がします。

 

だけどよく考えてみると違った見方になる気がするんです。

 

例えばもしカンダタが他の人を思いやって、「みんなで一緒に極楽にたどり着くぞー!」なんて言ってたとしたら全悪人が極楽にたどり着くわけですよね?

 

お釈迦様は”良いことを生きてる時に1つだけしたカンダタだから”チャンスをあげたわけなので、全悪人が極楽に来るのは想定外…というより少し公平性に欠ける気がします。そもそも極楽にいる人たちは良い事をしてきたから極楽にいるわけで、良い事を全くしてこなかった悪人までもが極楽にたどり着いてしまったら極楽と地獄の2世界ある意味がなくなる気がします。

 

それともカンダタが先に極楽に着いた瞬間に糸は切れて他のぶら下がってた悪人たちは落ちていくのかな??

 

そんな事を考えていて、私がたどり着いた結論が「結局アレはただのお釈迦様の暇つぶしのワンシーンに過ぎなかったのか」ということ。

 

お釈迦様はカンダタがどう反応すれば満足したのか。どうカンダタが反応すれば蜘蛛の糸は切れずにすんだのか。謎すぎます…

 

私的に結局、お釈迦様が本気でカンダタにチャンスをあげるつもりがあったようには思えないんです。そもそもお釈迦様が終始上から目線な気がしてしまって、あまり好感が持てません (笑) 

 

なんというか、カンダタの方がある意味よっぽど人間味がある気がします。逆にこのストーリーを読んでいる時の私の頭の中でのお釈迦様のイメージはどちらかといえばロボットに近いです。

 

そもそも極楽にお釈迦様の他に人はいたのでしょうか?

 

私たち人間はいつだって間違える生き物です。一生を全て良い事だけして終えるなんてことは絶対にあり得ない、と私は思っています。誰だって悪いことの1つや2つ経験しているはずです。どれだけの良い事をすれば極楽行きが決まり、どれだけの悪い事をすれば地獄行きなのでしょう?

 

もしかして極楽にはお釈迦様以外に誰もいなかったのではないでしょうか?なぜかここ数年そう思わずにはいられないのです。

 

そんな事を考えながら生きている毎日です(笑) でも考えれば考えるほど深く、不思議なストーリーで、さらに魅力が増します。

 

よかったら皆さんなりの解釈をお聞かせ願いたいです!

 

のぐとも