のぐともカナダ留学ブログ

15歳で留学開始し、カナダ11年目。 高校、大学を卒業し、現在は幼児教育者として働いています。 永住権取得済み。

平等とは

 

こんにちは、のぐともです。

バンクーバーは晴れたり、雪が降ったり...と予測できない天気が続いております。

 

そんな最近ふと、日本とカナダでは平等の意味合いが違うな、と感じたのでその違いについて今回は私の意見をまとめていきたいと思います。

 

みなさんにとって、平等とはどういったことを指しますか?

 

平等の定義とは

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簡単に説明をしてしまうと、日本が考える平等とは EQUALITY であり、カナダが考える平等というのは EQUITY です。

 

つまり私たち日本人の多くが考える平等とは、全員にまったく同じ物や機会を与えるということ。そしてカナダが考える平等とは、全員それぞれのニーズに合ったまったく違う物や機会を与えて、その全員が同じ目標にたどり着くこと。

 

私たちは、自分の今までの経験や環境、そして自分が持っている知識で他人や物事を測ってしまいがち。それゆえに、自分たちの物差しで他人をジャッジしてしまうのです。

 

しかし、果たしてそれは公平と呼べるのでしょうか?

 

人間というのは自分が持っている特権 ( PRIVILEGE ) には気付き難いものです。自分がどれだけ恵まれているか、なんて考えもせずに生きていることが多いはず。なぜならそれが生まれた時からの自分の「当たり前」だから。

 

しかし実はそれらは本来「当たり前」なものなどではなく、他の人からしてみれば喉から手が出るほど欲しいものかもしれないのです。だけど私たちは自分たちが持っている特権には気づかない。

 

いうならば、私たちは生まれた時点でみんな違うスタートラインに立っています。それなのに全員が同じ物や機会を与えられるとなると、私たちの間のギャップは一向に埋まりませんよね?スタートラインが違ければ、たとえ自分が3歩進んでも自分たちの前にすでにいる人たちも同じく3歩前に進んでしまうわけです。

 

平等とはなにか、特権とはなにか、について分かりやすく触れた一本のビデオがYouTubeにあります。

 

まずは白人、黒人、全員が同じラインに横並びになっているシーンからスタートです。そして男の人が声を大にしてこう言っています。

"We are racing for a $100 bill.

The winner of this race will take this"

「私たちはこれから$100を賭けたレースをし、勝った人がこれをもらえます」

 

 

"Before I say go, I'm gonna make a couple statements.

If those statements apply to you, I want you to take 2 steps forward.

If those statements don't apply to you, I want you to stay right where you're at"

「GOと言う前に、いくつかステートメントを読み上げます。もしそれらが自分に当てはまる場合は2歩進んでください。もし当てはまらない場合は今いる場所にそのままステイしてください」

 

ルールはいたって簡単。

ステートメントもいたってシンプルなものばかり。

「ケータイ代を気にしなくていい人」

「大学の授業料を気にする必要がない人」

「お金のことで両親を助ける必要がない人」

などなど。

 

一体誰が最後に一番前に来ると思いますか?

 

ステートメントに当てはまって前に進んで来たほとんどの人たちは白人であり、ラインから一歩も動いていない、もしくは前方から遥か遠くにいる人たちはほとんどアフリカンアメリカンの人たちです。

 

"I want you guys up here in the front just to turn around and look.

Every statement I've made has nothing to do with anything any of you have done; has nothing done to do with desicions you've made. Everything I have said has nothing to do with what you've done.

We all know these people up here have a better oppotunity to win this $100. Does that mean these people back here can't race? No"

「前にいるあなたたちは後ろを振り返ってみて。

僕が読んだ全てのステートメントは君たちが決めたものでもなければ、君たちがどうにかしてできるものでもない」

「手前にいる君たちはこの$100を手に入れるのに優位なチャンスを持っている。だけどそれがつまり、後ろにいる彼らがレースに参加できない、という意味ではない」

 

We would be foolish to not realize we've been given more oppotunity.

We don't want to recognize that we've been given a head start, but the reality is we have.

They still gotta run their race. You still gotta run your race.

「自分たちは多くのチャンスをもらっている、ということに気づかないのは馬鹿げている。私たちはヘッドスタートをもらっている、と言う事実を認めたくないだろう。だけど現実に実際もらっているんだよ」

「それでも彼らはレースを続けなければならないし、君たちもレースを続けなければならない」

 

"If this was a fair race and everybody was back on that line, I garantee you some of these black dudes would smoke all of you. And it's only because you have this big of a head start that you're possibly going to win this race called life; that is a picture of life"

「これが本当に公平なレースならば、君たちが後ろのあのラインに立っていて、今後ろにいる黒人の彼らが前にいて圧勝していると思うよ。君たちがこの人生という名のレースに勝てる可能性があるのは、君たちがヘッドスタートをもらっているからだ。これが人生なんだよ」

 

つまり「自分たちには特権があるからこの人生というレースに有利なだけである。そして自分たちのその特権に気づかずに生活することはとても愚かなことだ」と伝えたかったんだと思います。

 

この手前にいる白人の子達と後ろにいるアフリカンアメリカンの子達との間のギャップ、これが私たちが気づかないうちに手にしている特権 ( PRIVILEGE ) なのです。

こういったギャップをなくすためには、全員に同じ物や機会を与える、という平等の定義ではダメなのではないでしょうか?

 

私たちはみんな違うのだ、という事実を認めた上で、個のニーズに合ったものを提供していく必要があるのです。もちろんたくさんの人が国にはいるので、そう簡単なことでなないと思います。しかし全ての人々が自分の居場所を感じることができ、皆で共存していくためには、まずは違いを認識し、状況や個のニーズに応じて順応することが大事なのではないでしょうか?

 

日本にもたくさん良いところはありますし、日本を否定しているわけではありません。ただ、日本人がもっと特権というものを理解した上で平等の意味を考え直し、カナダのような順応力を身につけていければ、もっと私たちの日本は素敵な国になるような気がするのです。

 

 

のぐとも