のぐともカナダ留学ブログ

15歳で留学開始し、カナダ11年目。 高校、大学を卒業し、現在は幼児教育者として働いています。 永住権取得済み。

Thanksgiving

 

こんにちは、のぐともです。

とうとうバンクーバーも本格的に寒くなってまいりました… そして私は4つのペーパーと2つのグループプレゼンがハロウィン周辺に固まってしまい多忙な日々を過ごしています……

とは言っても以前のブログでも書いたように、生き急いでいる人間なのでもうほぼ全てのペーパーは終わらせました!割と本気出せばいけるもんですねー!

 

そんなこんなで今回は少し前に戻ってThanksgivingについてまとめます!

 

今年もたのしかったです!

やっぱり安定の親友ですね〜 今セメは2つも同じコース取ってるので一緒に居られる時間が長くて幸せです!

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親友の飼ってるわんちゃんも可愛かった〜 もうすっかり私にも懐いてくれてます (笑)

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みなさんはどんなthanksgivingを過ごしましたでしょうか? 私は大好きな友達と過ごしながら、たくさんの人とめぐり逢えたことに主に感謝しました。カナダに来る前も後もそうですが、つくづく私は友達に恵まれているなと思います! 何も言わなくても私が困ってたら助けてくれる友達ばっかりで本当に幸せです。

 

これを親友やカナディアンの友達に言ったら「当たり前でしょ。そもそもあなたが私に話しかけてくれたから今があるのよ。あの時話しかけられなければ今のこの関係はきっと無かったし、こんな面白いあなたを知ることもなかった。感謝してるのはこっちの方よ。いつも笑わせてくれてありがとう」って言われました… 泣きそう…泣きそうだよ!!!

 

なんていい人なんだ…

でも確かによく考えてみたら今私が仲良くしてる友達ってみんな私から積極的に話しかけた人達なんです。1人の子に限っては名前も知らないけど見かけたことある!って程度で話しかけましたし (笑) でも今ではクラスで常に一緒にいるほど仲良し… ムダにフレンドリーで物怖じしないこの私の性格もなかなか役に立ちますね!

 

本当に素敵な友達との出会いに感謝します。

のぐとも

夏と秋。

 

こんにちは、のぐともです。

ここ何日か暖かくて晴れた日が続いています!

気温的には最近はまだまだ夏気分...

でも外を歩けばきちんとそれなりに秋の雰囲気も感じられます。夏が終わって秋に移りつつあるこの感じがなかなか好きです。そんなこんなで今日は天気も良く、時間に余裕もあったので2時間ほどカメラを片手に散歩に出ました〜

 

秋の訪れ。

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こちらは夏っぽい写真。

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ちなみにウエストバンの人気のないビーチをパノラマ写真で撮ったらこんな感じになりました! 伝わりますか? (笑)

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ちなみにこれは昨日の写真。(iPhone 7での撮影)

あまりにも良い天気だったからか、カモメも海を眺めてのんびりしてました。不思議とカモメの背中が何かを語っているように見える...

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そして本日の散歩中にたまたま発見!

可愛いデザインのハウスゲート!

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散歩に行く前にはこんな神秘的な光景も目撃!

ダウンタウンからウエストバンに帰るバスの中から撮影。ライオンズゲートブリッジの上をちょうどバスが通ってる時だったんですが、海の上だけ白い霧?みたいなのに包まれてて不思議な感じでした!本当に海の上だけ覆われている感じ。バスが途中、霧の中に入っていったときは周りを見渡しても霧しか見えなくて、あぁ天国ってこんな感じなのかな?なんて考えてました (笑)

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秋の訪れ...をタイトルにしたかったところですが、今日の暑さはなかなか夏並みでしたので『夏と秋』にしました!このままこの素敵な天気が続いて欲しい!と思っていましたが残念ながら明後日からは雨予報。すっかりおなじみのレインクーバーに戻りそうです。

 

のぐとも

社会から見た幼児教育

 

こんにちは、のぐともです。

今セメスターはやることが多すぎてついブログを放置してしまいました… また来月から忙しくなるんですが、時間を見つけてちゃんとブログも更新していこうと思います!

 

今回は私の専門分野、幼児教育について。特に社会から見た幼児教育について少し考えをまとめていきます。

 

突然ですが!質問です。

なぜ幼稚園や保育園が必要だと思いますか?

何のために存在していると思いますか?

Why do you think we have daycare centres/preschools?  

 

この質問に対する回答は、幼児教育を勉強している人とそうでない人でかなり分かれると思われます。実際にこの質問をクラスのアクティビティの一環として、学校内にいる他学部の学生たちに聞いてみたところ…

→子供の教育のため

→小学校への準備のため

→親が働きに出るため

→ビジネスのため

 こういった回答が多くみられました。

 

ちなみに幼児教育をそれなりに学んできた人たちの回答はこちら。

→子供の社会的交流のため

→社会スキルを身につけるため

→多様性を学ぶため

→可能性/好奇心を広げるため

→長所を伸ばすため

などなど。

 

このような違いが出ました。

もちろん分野を学んできた人たちの方が内容が詳しくなるのは当たり前ですが、私たちレッジョエミリア方針の幼児教育を学んでる人は、保育園や幼稚園がただ子供の小学校への準備のためであったり、子どもを預かるサービスとしての認識を持つことは教育者としてあまり良くないことだと教わります。なぜなら、その認識の違いでカリキュラムや私たち教育者の子供への対応も変わってくるからです。

 

例えば教育者及び学校側が、幼稚園は小学校への準備期間であるという考え方をしているとします。すると子供が幼稚園で学ぶことは主に学習に焦点が置かれます。言語(アルファベット、ひらがな、カタガナ)の基礎であったり、数字を使った算数の基礎であったり... それが悪いことだとは言いません。そういった幼稚園もあるべきだと思うし、むしろそういった所に子どもを預けたい親御さんもいることでしょう。

 

しかしアカデミックな学習だけに焦点を置いた教育は子供の本質を見ることができません。子供の心に触れることもできない、と私は思います。だって、そういった環境の中にいる教育者は子どもの表面だけを見て判断し、一括りに"子ども”としか見ておらず、子ども個人個人に目を向けられないからです。だから、クラス内の子供全員に同じことをやらせ、同じ結果を求め、毎年同じカリキュラムを繰り返す。それぞれ子供は生まれ育ってきた家庭環境も、成長のスピード、学ぶペース、長所短所、ポテンシャル、モチベーション、興味のあることも違うのに。違って当たり前なのに同じ結果を求めてしまうが故に、子供個人の可能性を潰してしまっていると思います。

 

もちろん子供一人一人にその子だけの教育をするのは難しいです。でもクラス全体で一緒にやるアクティビティの中にも子供それぞれの可能性を引き出してあげることは可能です。

 

例えば、折り紙を使って遊ぶ場合。

多くの幼稚園は先生が「折り紙で家を作りましょう」と結果を設定し、一人一枚ずつ折り紙を与え、先生が見本を見せ、全ての子供たちに同じ手法で折り紙の家を作らせがちです。これではどの子が作る家も同じに見えるでしょう。オリジナリティはほぼ明確には発揮されませんし、子供の想像力を伸ばすこともできません。

 

では、色も形もサイズも違うバラエティ豊かな折り紙や他のマテリアルも用意し、自分が好きな分だけ使っていいのだとしたら?さらに先生が「私はこうやって折り紙で家を作るけど、みんなはこの折り紙を使って何をする?」と聞けばきっと子供たちはそれぞれ色も形もサイズも違う家を作るでしょうし、中には家ではなく別のものを作る子や、他のマテリアルと合体させて遊ぶ子もいるでしょう。協調性がない、と批判する方もいるかもしれませんが、私はこちらのやり方の方がそれぞれの子供がそれぞれの個性を持つことができると思います。それに”折り紙を使う”という点では同じことをしているわけですし!

ただ中には折り紙で遊びたくない子もいるでしょう。その時には私はその子に強制して無理やりやらせたりはしません。やりたくない子はやらなくていいんです。自分でやりたくなったら参加すればいい。興味のないことをやったところで記憶にも残らないですし、何かを得ることはまずないと思ってます。やっているうちに興味が湧いてくれば別ですが... 私たちも何かをきちんと学んだり、得たりするにはそれなりのモチベーションや好奇心、インスピレーションが必要ですしね。子供も私たちと同じ、なんら変わりない人間です。

 

もっともっとたくさん語れるのですが、今回はこの例だけにします。本当に止まらなくなっちゃうので (笑)

 

つまり、保育園や幼稚園は小学校への準備期間という見方や、ただ親が働きに出るために子供を預けるだけの"サービス"としての見方よりも、実際はもっと深く、子供達が密度の濃い社会的体験をできる場なのです。そこらへんをよく踏まえた上で、幼稚園や保育園の存在意義について社会がもう少し深く考えればより良い質を導くことのできる幼児教育の環境を作れるのではないか、と思います。

 

また時間がある時に、世界中の幼児教育界が注目するイタリア、レッジョエミリアの教育方針についてまとめますね :)

とうりあえずは今セメスターを乗り切ることに集中します!

のぐとも

 

ポジティブシンキング

 

こんにちは、のぐともです。

夏休みが終わり、セメスターが始まり… ギャップについていけず病み期に入っていましたが何とか抜け出しました〜

毎セメスター、始まりはいつもこうなんですよね。でも始まったばかりなんだから分からなくて当たり前だし、分かるまで努力すればいいだけの話!ってところにおさまりました。

 

Education is the passport to the future, for tomorrow belongs to those who prepare for it today.

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この名言を胸に生きます。

海外の大学生はパーティーピーポー!なイメージがある方も多いみたいですが、はっきり申し上げましょう。それは嘘です。ミュージカルやドラマの中だけのストーリーに過ぎません (笑)

日本の大学に比べたら入るのは簡単ですが、卒業するのが大変です。 なぜならカナダが求める人材というのは「どこの大学を出たか」で決まるわけではなく、「大学で何を学んできたか」で見極められるから。だから大学に入った後が大変なのです。

 

楽あれば苦あり苦あれば楽あり。

本当この通りですね。

常に楽をして生きたいのであれば、宝くじを当てるしか方法はない気がします。まぁ宝くじに当選したところで幸せが手に入るのかと問われれば答えられませんが…

 

いくら現実逃避をしたって自分が行動を起こさない限り、ポジティブに変わることはほぼないと思ってます。だったら、もし結果としてネガティヴになるかもしれなくてもチャレンジしてみるべきではないでしょうか? 行動を起こさなければネガティヴにしかならないけど、行動を起こした場合はポジティブにもネガティヴにもなりうる!可能性は五分五分です。ならチャレンジしてみるほかないですね!

 

スラムダンク安西先生の名ゼリフ。
「諦めたらそこで試合終了ですよ」

このセリフも宝くじも同じ。

宝くじは買わなきゃ当たらない。買わない時点で試合は始まってすらいないし、買い続けなければそこで試合という名の夢は終わり。

さらに勉強でも同じことが言える。

勉強もやらなきゃ楽しみは分からないし、夢への道のゲートすら開かない。やらないor諦めた時点で将来の夢への道は閉ざされる。だったらもう勉強をやり続けるしかないし、宝くじも買い続けるしかない。だってやらなかったら状況は何も変わらないんだもの!宝くじは買わなきゃ当たらないんだもの!!


自分に自分が言い聞かせてるんですが、よく分からなかなってきたのでこの辺でこの説明は辞めますね (笑)

 

とりあえず、どんなに苦しかろうがやるしか道はないんです!私にならできる!!

これを言い聞かせて、自分に暗示をかけていこうと思います。

 

行き詰まった時はね、少し外を散歩して夕日をぼんやり眺める。私はこれをやるようにしてます。夕日を見てると何もかも忘れられるのでオススメ。だけど雨の日の散歩ほど気持ちが落ちるものはないので、雨の日はオススメしません (笑)

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皆様にウエストバンの綺麗な夕日をおすそ分けです。

 

のぐとも

 

カナダ帰国

 

こんにちは、のぐともです。

先日、カナダに戻ってまいりました!

 

今回は珍しく短い8時間のフライト。ただ、台風の影響で最初の3時間はずっと機体がジェットコースター並みに揺れてました (笑)

 

ちなみに涼しいと思っていたバンクーバーが中々の暑さで驚きました。蒸し暑い感じ。5年間いて初めてこんなに汗をかきました… 驚いた〜 涼しいと思って帰ってきたのにこんな洗礼を受けるとは!!!雲ひとつない青空は嬉しいんですけどね〜 暑すぎてカナダに帰ってきた実感が湧きません…

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大学の親友とも久しぶりの再会。

彼女の旦那さんがシェフに昇格したので、2人で彼のレストランに行ってたくさん食べてきました〜!サービスもたくさんしてもらってありがたかったです♡

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ちなみに2、3週間前から毎週末、バンクーバーデッドプール2の撮影をしてるのですが、やっと目の前で見られました!ライアン本人は見ることができませんでしたが、さすがはハリウッド!!!機材やらスタッフやらの数が尋常じゃないほど多いし、道がクローズされることも多くて大変です… 

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これからも毎週末バンクーバーで撮影するらしい〜 ライアン本人に会えたらいいな!

 

 

明後日から本格的に大学生活が再開しますが、また全力で頑張ります!!

のぐとも

語学学校

 

 

こんにちは、のぐともです。

先ほどFacebookを見てたら私が留学して間もない頃の写真がたくさん出てきて、その懐かしい思い出に浸っていました。

 

 

私がカナダに留学を始めたのは5年前の2012年の春。中学を卒業したばかりの15歳の頃です。

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今思うと本当にただの世間知らずの生意気な小娘だったと思います。留学してるってだけで自分が自立している気になってた15歳の小娘です。20歳になった今、当時のことを思い出すだけで自分に嫌気がさします。

 

私が勉強させてもらっていた語学学校は3回でも英語以外を校内で話している所を見つかるとレッドカード=強制退学、というかなり厳しいルールの学校でした。そのためか、日本人はさほど多くなく、きちんと自分が働いて貯めたお金で留学をしている生徒がほとんど。

親のお金で留学させてもらってる15歳なんて全クラス合わせても4人ほど。日本人は私ともう一人の女の子の2人でした。

 

「15歳で留学するなんて凄い」

とチヤホヤされ、歳上のお姉さんお兄さんにたくさん可愛がっていただきましたが、今考えると彼らの方がよっぽど偉いし凄い。

 

きちんと自分の目標、計画を立てた上で、自分のお金で留学をしていた彼らは15歳の私なんかよりもとっても英語に対しての意識が高く、学校の外だろうと英語しか話さない人も多くいました。

それに比べて15の私は、一歩でも学校を出ると友達と日本語のオンパレード。メキシカン、イタリアン、コリアンの中には仲が良かった友達もいましたが、どこに出かけるにも基本は日本人と行動を共にしていました。

 

それじゃあ英語が伸びるわけがない。

と思ったんですがそこはまぁさすが15歳。

大人よりも吸収はそれなりに早く、たった4ヶ月程でしたが、全く英語が話せない状態からは抜け出し、友達と会話をする程度の英語力は備わっていました。

まぁ、この程度で英語ができる気になっていた私は現地の高校に入学後に、あまりの英語のレベルの高さに痛い目を見るのですがそれはまた別のお話です。

 

私が語学学校に通っていたのは5年も前。

当時私は15歳だった訳ですが、周りの友達はすでに20歳前半から後半の人がほとんどでした。

 

そんな私は今、20歳。

当時の彼らの年齢に追いつきつつあります。私の中であまりこの5年間で大きな変化があった気はしませんが、彼らにとってこの5年間はとても大きなものだったようです。

私の知る限りでも10人ほどが結婚をし、その内の7割ほどはもう子供もいます。

 

たかが5年、されど5年。

私の中での変化は高校を卒業し、大学に入り、成人になったことですが、彼らの変化は自分の人生だけでなく誰かの人生を丸ごと変えることのできるほど大きな変化です。

 

すごく仲が良くて、いつも私を可愛がってくれていたコリアンのお兄ちゃんは、将来私と結婚するって約束してくれたにも関わらず今ではもう息子がいます (笑) 

それでも時々インスタやフェイスブックにコメントをくれて、私の心配をしてくれるので本当にありがたいなと思います。

 

もう5年も会ってないのに…

そう考えるとSNSの存在ってとても素敵だなって思います。会ってなくてもずっと繋がっていられるから。でもやっぱり実際に会いたいですね。

 

正直、彼が結婚の報告をフェイスブックにポストしたときは「えぇ!私と結婚するって約束したじゃん (笑)!」なんて思いましたが、それと同時にかなり嬉しかったのも事実です。子供が産まれた時なんかはもっと嬉しかった。

 

たった4ヶ月しか一緒に過ごすことはできなかったけど、それぐらい私にとっては大好きなお兄ちゃんだったし、それぐらい可愛がってもらったんです。

 

どれだけ一緒に過ごしたかってのは大事だと思いますが、それ以上にどれだけ濃い時間を共に過ごしたかってことが大事ですね。

もし今再会したらきっと泣きじゃくって抱きつくと思います。全然私そういうキャラじゃないけど (笑)

 

このコリアンのお兄ちゃんだけじゃなく、本当にたくさんの人に良くしてもらったんです。15歳だからという理由で色々奢ってもらったりもしましたし、知らないことも色々教えてもらいました。本当に感謝しています。

 

私が彼らにたくさん良くしてもらった分、今度は私がそのしてもらったことを歳下にしていくべきなんだろうなぁ。

 

とりあえず、あの頃のみんなに会いたくて仕方ありません… でもどう頑張ってもきっともう全員で集まることはほぼ不可能ですよね。みんなそれぞれ違う国で、違う人生を歩んでるわけですしね…

 

留学という目的にフォーカスしすぎると、ついつい日本人と距離を置きがちです。もちろんそれも時には大事だと思いますが、海外の人とだけではなく、日本人との出会いも大事だと私は思います。

 

留学中の出会い、特に語学学校での出会いは一期一会。一度さよならをしてしまうと数年後にまた再会、というのはかなり難しいと思います。

 

なのでこれから留学する皆さんには、「英語を勉強する」という目的だけではなく、留学中の人との出会いも大切にして欲しいです。

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のぐとも

 

 

 

共生幼児教育

 

 

こんにちは、のぐともです。

今日は久しぶりに少し真面目な記事を書かせていただこうと思います。

 

このことについて書こうと思ったのはある教育クラスで出会った本がきっかけでした。

 

Te Aotūroa Tātaki—Inclusive Early Childhood Education | New Zealand Council for Educational Research

この本はニュージーランドの幼児教育界の共生社会への考え方をまとめたものなのですが、とても大事なポイントがいくつも載っていて、これをたくさんの人が知ることによって日本もより良い共生社会に一歩近づけるのではないか、と思ったので今回この記事をまとめています。

 

少しハードですが、もしかしたら英語の勉強にもなるかもしれないので是非読んでいってください (笑)10チャプターに分かれて、共生社会について考えがまとめられているのですが、私が障がいを持つ姉として一番共感し、知っておくべきだと思ったのはチャプター9です。なので今回はこの本の中でもチャプター9の中から少しまとめたいと思います。

 

 

とりあえず原文をそのまま引用しておきます。一応、私のつたない和訳も載せておきますが、訳し方も感じ方も人それぞれなので自分が感じたように受け止めてください。

 

Inclusive education for children with disabilities and their families is premised on three key ideas:

・all children and families have the right to access and receive a quality early childhood education in thier local regular early childhood service

・all children can benefit from an inclusive early childhood educaiton

・an inclusive early childhood system is an esential component of helping create an inclusive society for all. (p. 155)

ざっくりと説明すると...

障がいを持つ子供やその家族にとって子供の共生教育とは以下の3つが大前提である。

-全ての子供とその家族が質のいい幼児教育を平等に普通のローカルのサービスで受けられる権利を持っている。

-全ての子供に得るものがある。

-共生社会を作るにあたって共生教育は重要な要素である。

 

 

8 Key factors of inclusion

インクルージョンにとって大切なポイント

 

1. Discourses of disability

2. Service policies

3. Teaching practices

4. Assessement

5. Collaboration

6. Early childhood learning environments and communities

7. Management and leadership

8. Resourcing

 

 

Do you perhaps believe that disability is an individual flaw and that "helping" children with disabilities requires fixing or treating the impairment and making them more "normal" so that they can participate more fully in society? This type of thinking about disability is, according to Skrtic (1995), very dominant in society and is influenced by medical and special education discourses of disability. These discourses locate disability within assumptions of pathology and normative differences, and see the "problems" of children with disabilities primarily as a product of their impairments. The focus, therefore, is typically on special education and other (i.e., assessment and diagnosis) and on fixing the problem or deficit (i.e., treatment and remediation). (p. 158)

障がいを欠陥と考え、障がいを持つ子供の”手助け”とはその欠陥を直すことであり、彼らをより”普通”にすることで、彼らが社会に十分に参加できるようになるという考え方は支配的で、医療や特別教育に影響されたものであるということ。そして、こういった考えは彼らの"問題"を文字通り"障害"として捉えてしまうので、特別教育や特別支援、その問題や欠点を直そうとする治療教育に焦点が行きがちになる。そのため、プログラムは子供それぞれのニーズや学習方法に沿ったやり方ではなく、個人のニーズを無視した一般的な教育がメインになってしまいます。

 

One of the outcomes of this remedial approach is that childre are labelled, perhaps even stigmatised, from an early age as negatibely different and as having "special needs", a situation that favours the attitudes and practices associated with exclusion. (p. 158)

治療教育に焦点を置いたやり方は結果として、幼い頃から子供に"特別支援"などというレッテルを貼ってしまってるわけなので、違いを浮き彫りにしてしまって逆に差別を生みやすい状況を作ってしまう気がしますね。

 

Perhaps you concider children with disabilities and their families to be victims of a tragic circumstance, or maybe sources of inspiration? The charity discourse perpetuates the idea that disability is a personal tragedy. (p.159)

チャリティーなどの慈善行為は人々に”障がいは悲劇だ”という考えを植え付けてしまい、障がいを持つ子供やその家族を不幸の犠牲者として、インスピレーションの源として見てしまう。慈善行為を見る当事者たちは”かわいそう”と勝手に哀まれたり、軽蔑されたり、すごく心配されたり、無視されたり... でも果たしてそれが障がいを持った人たちが求める反応なんでしょうか?違いますよね。つまり慈善行為というのは偏見をなくすどころか、逆に偏見を生むことが多いんじゃないでしょうか。

 

The negative assumptions and stereotypes about disability perpetuated ... tend to exacerbate such fears and prejudices in people. Therefore, the types of attitudes emanating from lay discourses relagate children with disabilities and their families to the position of "the other", a situation which makes them vulnerable to discrimination and exclusion. (p. 159)

障がいに対するネガティブな固定概念や推測は人々の先入観をさらに悪化させる傾向があり、障がいを持った子供やその家族を「自分たちとは"違う"」と決めつけ、そういった状況が彼らを差別の対象へと追いやってしまうみたいです。

 

A rights and sociocultural discourse of disability promotes the view that it is disabling attitudes and environments - not the disabilities per se - that cause disability. (p. 160)

障害を生むのは障がいそのものではなく、世間の障がいへの見方や環境でもあるんですね。

 

... special education typically favours developmental, normative and skills based approaches to assessment. These approaches highlight what children cannot do rather than what they can do. (p. 164)

障がいを持った子供達が「できないこと」に目を向けるのではなく、彼らが「できること」に焦点をおき、そこを伸ばしてあげるべき。

 

誰だって短所はあるけど、短所ばかり見ていたら長所には気づけないし、伸ばせない。短所をうまくカバーするために長所があると私は思ってます。それぞれの子供の長所を見つける手伝いをし、その長所を伸ばしてあげるカリキュラムをそれぞれの子供別に作る。実際にそれを実行するのがどれだけ大変なことかは分かっていますが、一人一人の子供と向き合ってそれぞれのニーズに合わせるからこそ長所が伸びるんだと思います。少なくとも私がなりたい教育者とはそういうことです。

 

 

 

今回まとめたのはチャプター9についてですが、この本は教育者になる前に、人として共生社会を目指す者として、とても参考になることばかりでしたし、改めて気づかされた部分も多かったです。

 

ぜひ読んでみてください!

 

のぐとも