憎しみに勝る愛を

カナダに留学して6年目。ウエストバンクーバーの高校を卒業し、今も変わらずバンクーバーで大学生やってます。

間違えがちな英語?

 

こんにちは、のぐともです。

今回は私が思う日本人が間違えやすい英語をいくつか紹介したいと思います。実際に日本人の留学生の人の英語を聞いて感じたこととか、自分が昔よく間違えていたものなど… 私の今までの経験を踏まえて、気付いたものを挙げていきます!

 

これから紹介するもののほとんどが、単語としての意味は正しいのにニュアンス的に私たち日本人が間違えやすいものです。

 

1. 「彼/彼女は私/俺を捨てたんだ!」と言う場合の”捨てる”

ある時日本人の留学生の方と英語でやり取りをしていたら、こういった一文が送られてきました↓

NG ENG:

He threw me away!!! 

(彼は私を捨てた)

これ、たしかに直訳してみると「彼は私を捨てた」という意味になるので、間違っていると認識し難いと思います。

私は日本人なので彼女の言っていることをすぐに理解できましたが、突然これを言われたネイティブスピーカーは理解するのに手間取る気がします。

 

Throw away”という単語には「捨てる」という意味がありますが、これはどちらかといえばゴミを投げ捨てるという方面で使われます。

ejje.weblio.jp

 

こちらが割と適切とされる言い方です。

OK ENG:

He dumped me!!!

(彼は私を捨てた!)

Dumpという単語もゴミ方面で使われるのですが、恋愛面などで「彼は私を捨てた!」と言う場合はこちらが一般的です。

ejje.weblio.jp

 

 

2. 「彼/彼女に告白した!」と言う場合の”告白する”

告白という単語を調べるとだいたい一番上にConfessという英語が出てきます。この単語に"告白"という意味があるのは事実なのですが、この告白は何か悪いことをした時や秘密を暴露するときの告白、という感じです。

ejje.weblio.jp

つまり、confessを使ってしまった場合は「何か秘密や悪いことを告白した!」という解釈にとらわれてしまいがちです。

NG ENG:

I confessed him!

(私は彼に告白した)

*言われた方は「何を告白したの?」と疑問に思うと思います

そもそも日本のような使い方ができる「告白」という言葉はこちらにはないので、直訳するのは難しいです。アニメやドラマでの英語字幕ではconfess my loveと訳されてるのをよく見かけますが、正直あまりこの表現は私は実際に聞いたことはありません。

代わりにAsk someone outという言い方をすることが多い気がします。

OK ENG:

He asked me out on a date

(彼にデートに誘われたの!)

 

He asked me out!!

(彼に告白されたの!)

 

He asked me to be his girlfriend!

(彼に彼女になってくれって言われたの!)

最初のon a dateがある場合とない場合でちょっとだけニュアンスも違ってきますが、基本的にはask someone outを使うのがいいかと思われます。もしくは少しフォーマルな言い方になってしまう気もしますがask me to be his/her girlfriend/boyfriend (彼氏/彼女になってくれと言われた)という表現もアリだと思います!

 

 

3. 「彼/彼女に口説かれた!」という場合の”口説かれた"

この場合hit on meという言葉が話す時には一番よく使われます。検索するとflirtという単語が出てくると思いますが、これも使えます!

 

アプローチ approachという単語を使いがちなんですが、これはどちらかと言うと何か目的があって「言い寄る/近づく」って感じがします。正直日常生活であんまり聞いたことがないです。

 

OK ENG:

She was hitting on me!

(彼女に誘われたんだよ!

/彼女に口説かれたんだよ!)

 

Are you hitting on me?

(私/僕を誘ってる/口説いてるの?)

この言い方が日常で一番よく聞くと思います。

 

 

4. 「暇だ」

Boring vs Bored

これは本当によく見る間違いです。私も英語を習いたての頃はよく間違えました…

NG ENG:

I’m boring!

(私はつまらない人間だ)

 

OK ENG:

I’m bored!

(暇なんだけど!)

 

It is boring!

(それはつまらない!)

 

boring と bored は単体では同じ意味ではありますが、この主語を間違えただけで意味はかなり変わってきます。It is boringだと「それはつまらない」という意味ですが、主語が自分つまりI’m boringとなってしまうと「私はつまらない人間だ」という意味になってしまいます。

 

これと同じパターンで「興奮してる/ワクワクしてる」という意味があるexciteという単語も間違えがちです。

NG ENG:

I’m exciting!

(私はみんなを興奮させるわ!)

 

OK ENG:

I’m excited!

(私はワクワクしてる!)

 

It is exciting!

(それはワクワクする)

 

他にも

NG ENG:

I’m interesting!

(私は興味深い人間だ!)

 

OK ENG:

I’m interested!

(私は興味がある!)

 

It is interesting! 

(それは面白そう!)

など… 基本、主語が自分や他人(I/she/he/we/they)の場合はexcitedやboredやinterestedなど単語のラストが-edで終わり、主語が物 (It/they/these/those) だったり、自分の感情を言いたい場合は単語のラストが-ingで終わる、と覚えておけばいいかなと思います!

 

 

5. Can you speak English vs Do you speak English?

「英語話せる?」

どちらも「英語話せる?」という意味にはなりますが、can youdo youで少しニュアンス、というよりどれだけ話せるか、のレベルが変わってきます。

Can you speak English?

(英語を話せる?)

*英語が第二言語で、そんなに話せそうに見えない場合はまずこう聞くイメージ。

 

Do you speak English?

(英語を話す?)

*英語が母国語だったり、英語がわりとできるように見える場合はこう聞く。

 

「英語話せる?」と「英語話す?」

だと少しニュアンスが違うのが分かりますよね。つまり「Can you〜?英語話せる?」だと見た感じ話せないように見えてるイメージ、「Do you〜?英語話す?」だと話せそうに見えてるけど英語話せるんだよね?と確認しているようなイメージ。

 

例えば目の前に道に迷ってる外国人らしき人がいるとします。彼に話しかける場合Can youDo youで2パターンの話しかけ方があります。

Can you speak Japanese?

(あなたは日本語を話せますか?)

これは「日本語を理解できますか?」と聞くイメージなので、こう聞いた場合はあなたにとって彼は日本人には見えない/日本語を日常的に話すようには見えない、という風に汲み取れます。

 

Do you speak Japanese?

(あなたは日本語を話しますか?)

こう聞いた場合は、あなたにとって彼は日本語を話せるように見えているという風に汲み取れます。

これに関してはどちらが正しくてどちらが間違いという事もないですが、Can you〜?の聞き方の方が相手を見た目だけで判断している感じがして気が引けるので私はなるべくDo you〜?を使うようにしています。

 

ある程度英語が話せるにも関わらず、他人からCan you speak English?と聞かれたら私もあまり良い気がしないので… 

 

 

以上!

今回は実際に私が体験した私たち日本人が間違えがちな英語をいくつか紹介させていただきました。まだまだたくさんあるのですが、また次の機会にでも紹介できたらいいな、と思います!

 

のぐとも

 

 

大学留学に必要なもの

 

こんにちは、のぐともです。

以前言いましたが、無事に今回もセメスターが終了しました〜 数週間後には夏セメとして実習が本格的に始まるので、まだまだこれからですね!気を抜かずに頑張ります!

 

今回の成績はこんな感じ。

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一応ストレートAは取れましたが、イングリッシュはもう少し頑張ればA+を取れたと思うので少し悔しいです… 反省。

でも、高校の頃は苦手だったin class essayでの成績が今回のイングリッシュではかなり高くて、地味にカナディアンの友達よりも良かったので、そこは素直に自分の成長を褒めてあげたいです!

 

スパニッシュに関してはA−でも仕方ないかな、という感じです(笑) オンラインの課題はなかなか成績が良かったのですが、クイズの点数があまり良くなかったです… ただ、改めてスパニッシュの楽しさには気付けたので良しとします!

 

残りの教育クラスは安定のA+で一安心… やっぱり自分の好きなことなのでいつでも一生懸命に取り組んでますし、これだけは譲れませんね。

 

今回の教育クラスでもたくさんのことを学びましたし、たくさん色んなことについて考えました!今考えると大変だったけど、とても幸せな4ヶ月でした。

 

セメスターの最初には毎週の課題の量に嘆き、泣きながら母に電話をして「無理かもしれない。絶対今回Aなんか取れないし、そもそもパスすらできないかもしれない。どうしよう…」なんて弱音を吐いていたのですが、終わってみると大したことなかったですね (笑)

 

でも本当にあの時は苦しくて、どうやったらこの苦しみから解放されるのか…なんて事を考えていました。

 

私が泣きながら電話してるときに母は「死ぬことを考えるくらい追い詰められているのなら今すぐ日本に帰って来なさい。Aを取らなくたっていいし、無理なら無理でいい。やめる事も大事」と優しい言葉をかけてくれました。

 

でも逆にそれが私を奮い立たせてくれた気がします。「どんなに苦しくたって、こんな状態で諦めることの方が嫌だ」と思えたからです。いつからこんなに負けず嫌いになったのか…

 

諦めたい、今すぐ辞めたい、だけどそれは私のプライドが許さなかったのです。やる前から諦めるのはどうしても嫌で、とりあえずやってみよう、やるしかない、と思いました。それでダメなら仕方がない。

 

こんな時こそネルソンマンデラの言葉がとても響きます。

It seems impossible until it’s done 

何事もやってみるまでは不可能に思える。その通りなんです。セメスターが終わった今、本当にそう思います。やってみなきゃ分からないんですよね。

 

こういった経験を踏まえて、留学に本当に必要なのは英語力や社交性でもなく、忍耐力と精神力なのではないか、と思いました。特に大学生活の面で。

 

日本で大学生になったことがないので、詳しいことは分かりませんが、こちらの大学は皆さんが想像している以上に厳しいものだと思います。そして留学生に一番に求められるのは、考える力に次いで、屈強な忍耐力と精神力なのです。

 

英語が第1言語でない、というだけでもネイティブスピーカーの生徒よりも色々と不利なことは間違いないです。でもだからと言って、そこで諦めてしまう、もしくはネガティブの闇に飲み込まれてしまう人は大学留学には向いていません。

 

私も正直ネガティブになることは多々あります。だけど、それで諦めたことは一度もありません。

 

今までで一番私が苦しかったのは小児医学についてのペーパーを書いている時です。100%私は理数の頭ではないのに、脳の構造についての学術論文を読んで理解して、まとめなければならなかった時は本当にしんどかったです。だってどこをどう読んでも分からないんですもん (笑)!分からない英語の単語を日本語に訳してみても、日本語の方が難しくてよく分からないし、結局は英語で理解しなくちゃならなくて…

 

まぁ今までにないぐらい泣きました!!でも、鏡に写った泣いている自分を見た時に「泣いたって何も変わらないのになんでこいつ泣いてんだ…」って自分のことを冷静に、そして客観的に見れたのです。

 

そして「泣いてる時間の方がもったいない!泣く暇があるのなら全力でやれ!それでダメなら仕方がない、諦めよう。そもそも英語が第二言語の時点でカナディアンよりも努力する必要があるんだ。だったらせめて努力の面では一番でいたい」と思えました。

 

どんなに辛くても最終的に諦めることは絶対になかったし、教育を心から愛し、一生懸命努力している、という点では誰にも負ける気はありません。

 

とてもハードな大学生活だからこそ、私ぐらい図太い神経が必要なのかな、と思います。繊細で、常に自分はダメだ…と考えてしまっている人は精神面でかなり疲れてしまうはずです。

 

実際、途中で諦めてしまったり、大学を辞めていった友達が何人かいたのも事実です。

 

短期の交換留学よりも、正規の大学留学はネイティブスピーカーと同じレベルを求められるので正直かなり厳しいです。挫折する事も多々あります。だけどそんな時こそ冷静に、そして客観的に自分を見て、諦めない事が大事なんだと思います。

 

そういった意味で、大学留学に必要なものは英語力よりも忍耐力や精神力、そしてある程度の覚悟なのではないか、と私は考えています。

 

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のぐとも

 

 

 

 

 

 

英語でリーディングのコツ

 

こんにちは、のぐともです。

今回はツイッターの方で質問がありました、リーディングのコツについて私なりの意見をまとめていきたいと思います!

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これはツイッターの方でも一度呟いたことがあるのですが、リーディングが上手くなるコツはどれだけ「どこが大事で、どこはそれほどか」を見極めることだと個人的に思っています。全て一字一句理解しなくてもニュアンスで理解することは高確率で可能ですし、早いリーディングを身につけるためにもスキミングスキャニングといったテクニックが重要になってくるかな、と。

ちなみに私は流れに任せて理解するタイプの人間です! (笑)

 

大まかにスキミングとスキャニングについて説明します。

まずは Skimming (スキミング) について。

日本でスキミングと聞くと犯罪臭がプンプンしてしまうのですが、実はこちらの学生生活の中では割と頻繁に耳にする単語の一つです。英語でも日本語でもスキミングにはカード犯罪で使われる手口としての意味合いがあります。しかしもう一つの意味として、このスキミングには「上澄みをすくい取る」という意味があります。

eow.alc.co.jp

つまりリーディングにおいてのスキミングとは「大まかに文章/書き手が読み手側に何を伝えたいか、ということを細かく読まずとも理解する」テクニックのようなものです。

www.teachingenglish.org.uk

ではどうすればスキミングができるようになるのか。

1、タイトル/見出しを読み、理解する

どんな小説、エッセイ、学術論文、ニュース記事にも必ずタイトル、もしくは見出しがありますよね?そして私たちが作文の書き方を習った時にも教わることだと思いますが、タイトル/見出しはどんな形であれ必ず自分が書いている内容に基づくものです。

いわば、タイトル/見出しはこれから私たちが読むであろうものについての短い要約文として捉えてしまっていいと思います。つまりタイトル/見出しを読むことは大まかに「これから自分が読むものは何について書かれているのか」を知るに当たっては非常に重要なものなのです。小説のタイトルが一番タイトルだけでは判断し難いものだと思われますが、学術論文、エッセイ、ニュース記事によってはタイトルだけで6割は理解できてしまうものもあると思います。

 

2、書かれている最初の章/セクション/段落(パラグラフ)を読む

どんな書き物であれ、初めはこれから書かれることについての説明やヒントが書かれています。小説であれば、舞台設定や登場人物の名前であったり、エッセイや学術論文であれば、イントロダクション(Introduction)もしくはアブストラクト(Abstract)が書かれており、今後読むに当たってタイトル同様、大まかにどんなことが書かれるのかを理解することができます。ニュース記事についてはほぼ最初の内容で8割は把握できるはずです。

特にエッセイやペーパーのイントロダクションの最後には必ずThesis Statementが書かれてあるはずなのです。Thesis Statementというのは、論文のテーマやトピックについて書き手がどのように考えているか、このイントロ以降、どのようにこの論文が展開されていくか、について要約された短い文章のことです。

そして学術論文の場合はこのイントロがアブストラクトに変わります。だいたい書いてある内容は似たようなものですが少し学術寄りになり、この論文が何について書かれており、どのようにテーマやトピックに沿った研究を行い、どのような研究結果が出て...などについて簡潔に要約されています。

つまりこのイントロ/アブストラクトを読んで理解すれば、今後どのようにテーマやトピックが扱われていくのか、をある程度は理解できるようになります。小説に関しては起承転結の起の部分にあたりますね!

 

*ここから小説のリーディングとは少し違ってきます。

3、最後の章/セクション/段落(パラグラフ)を読む

最初と最後のパラグラフは比較的似てるパートが多くなりますが、最後のパラグラフはいわば書かれていることについての"まとめ"なので、最初よりさらに具体的に濃く書かれています。

つまり、最初と最後のパラグラフさえ先に読んで理解してしまえば大まかな流れは把握できてしまうわけです。

日本で読解問題を解くときに、最初と最後を読んで、後は問題に書かれている段落や章だけ読めばある程度は答えが導き出せるようになる、という考え方と同じでしょうか?

 

4、全ての段落(パラグラフ)の最初の何文かを読む

だいたい最初と最後のパラグラフを読んだ段階で大まかに書かれていることは理解できると思うのですが、さらに全てのパラグラフの最初の何文かを読むことによって理解力は増していきます。先ほど説明したThesis Statementと同様にイントロの終わりだけでなく、全てのパラグラフの最初にまずそのパラグラフに書かれることが1、2文で簡潔に説明されています。

ですので、最初と最後のパラグラフに合わせて全てのパラグラフの最初の何文かを読で行けばだいたい書き手が伝えたいこと、というのは伝わってきます。

 

例えば... 

(すごくテキトーに考えたものなのですが...)

トピック:

犬と猫ではどちらがよりペット向きか。

 

テーマ:

犬は猫よりもペットに向いている。

 

タイトル: 犬がペットに向いている理由

 

イントロ hook:

近年、犬よりも猫の方がペットとして飼われる割合が高くなってきている。

 

イントロ Thesis statement:

犬は忠誠心が強い、従順である、という点において猫よりもペットに向いているのではないだろうか。

 

一段落 Body Paragrah 1:

犬は猫よりも知能が高く、忠誠心が強いので一度飼い主との信頼関係を築くと一生懸命飼い主を守ろうとする。

 

二段落 Body Paragrah 2:

犬は猫よりも人間との信頼関係の構築が早く、一度懐くと飼い主の命令には素直に従うことが多い。

 

まとめ Conclusion:

近年、犬よりも猫の方がペットとして飼われる割合が高くなってきているが、犬は忠誠心が強く従順であるため、飼い主との信頼関係が築きやすく、猫よりもペットに向いているのではないだろうか。

 

この場合、

タイトル⇨イントロ⇨まとめ⇨一段落⇨二段落...

という順で読んでいくことになります。

 

これがスキミングのやり方です。

このテクニックを身につけるだけでリーディングのスピードも上がります。

 

 

逆にリーディングにおいての Scanning (スキャニング) とは、スキミングのように大まかに全体を把握するのではなく、ある特定の情報を探すときに使うテクニック。参考文献として学術論文を読み漁るときなどに有効かと思われます。

www.usingenglish.com

スキャミングの場合は、すでに自分の中である程度の疑問や質問が形成されていて、その答えを探すために自分の質問に当てはまらない情報は全て無視していく形になります。つまり自分が大事だと思う単語などを徹底的に探す、ということですね!

 

 

以上、今回はリーディングのコツとしてスキミングスキャニングをあげてみました!大学では小説よりも論文やエッセイを読む機会が多いため、今回のリーディングのコツも小説より論文寄りになってしまったのですが...

 

小説に関してはひたすら読み進めることだと思います。全ての文を理解しようとはせずに知らない単語があってもとりあえず読み進めて、前後の文章や章全体のニュアンスで理解していくことが大事じゃないでしょうか?

 

昔の私もそうだったのです、まずは完璧にすべてを理解しなければならないという概念を捨てるべきだと個人的には思います!

 

のぐとも

 

 

 

David Foster Wallace: This is Water

 

こんにちは、のぐともです。

今回もいろいろありましたが、無事に今セメも終了となります!

初めの方はあまりの週の課題の多さに苦戦し、今回は無理かも... と何度も諦めかけましたが、実際に終わってみるとそんなに大変ではなかったです!毎度のことながらやってみないと分からないものですね。

 

今回は English のクラスで読んだスピーチについて紹介したいと思います。私てきには今まで聞いた/読んだ中でもかなりお気に入りなスピーチです。

 

This is Water

By David Foster Wallace

*画像はイメージです

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 画像引用元:

http://phytodess.com/en/ingredients/gulf-stream-seawater/

 

 

これは2005年にアメリカの作家、Wallaceによって読まれたKenyon CollegeでのCommencement Speech (卒業スピーチ) です。実は残念なことに、このWallace本人は2008年に自殺してこの世を去っています。

 

彼の作品をいくつか読みましたが、全てどれも読みやすく、作家としての才能は他の作家が憧れるほど... と言われていた理由がよくわかった気がします。

 

彼自身とっても頭がよく、スピーチやエッセイの着眼点もなかなか面白いです。彼の言ってることってかなりロジカルでとても深いと思うんですが、彼の素晴らしい作家としてのライティングスキルのおかげか、毎度すごく読みやすい文章に仕上がっています。さらに、基本てきには読み手側に考えを託すスタイルなので余計な先入観なく、自分の考えを広げられるので私はとても好きです。

*人によっては「すっきりしない!」という人も多いかもしれません。

 

 

 

では本題へ...

This is Water

 

こちらはスピーチの書き起こしと実際の音声です↓

This is Water, by David Foster Wallace by wholesum | WholeSUM | Free Listening on SoundCloud

(ところどころ省略されていたり、私が読んだpdf ver.とは違う箇所がいくつか見られました)

 

そしてこちらが和訳してくださった方の日本語バージョン↓

これは水です

 

ぜひ全文を読んでいただきたいのですが、ここではいくつかのこのスピーチのメッセージと私の考えを述べさせていただきたいと思います!

 

ちなみに引用元のページナンバーの参考文献はこちら。

Wallace, David Foster. "Kenyon Commencement Speech." The Best American Nonrequired Reading 2006, Houghton Mifflin, 2006, pp. 355-64.

 

まずWallaceがこのスピーチを通して伝えたいことというのは簡単にまとめてしまうと「意識的に生きることの大切さ」だと思います。つまり「考えるべき対象を選べるようになること」が大事であり、Liberal arts education (教養教育) というのは知識を埋めるためというよりも、私たちがそうやって「自分の頭で考えられるようになる」そのために存在する、と彼は述べています。

"...a liberal arts education is not so much about filling you up with knowledge as it is about, quote, 'teaching you how to think'" (355-356).

 

 

しかし「自分の頭で考えられるようになる」ことよりも、真の教育とは「考えるべき対象を選べるようになること」だと彼は続けます。

"...the really significant education in thinking that we're supposed to get in a place like this isn't really about the capacity to think, but rather about the choice of what to think about" (356).

 

彼はこういったことの例として、水の中を泳ぐ魚の話神を信じている人間とそうでない人間の話をスピーチの中で語っています。私は軽くまとめてしまいますが、ぜひ原文を読んでみてください。

 

1. 水の中を泳ぐ魚の話

2匹の若い魚が水の中を泳いでいるときに、年上の魚に会い、そのときこの年上の魚が「今日の水の調子はどうか」と聞きます。すると2匹の若い魚は「水って何?」と聞きました。

 

2. 神を信じている人間とそうでない人間の話

信仰深い男と無神論者がバーで一緒にお酒を飲んでいると、無神論者が「この間、ヒドい吹雪に巻き込まれて遭難したんだ。もうダメだと思って一か八かで神に助けてって祈ったんだよ」と語り出すと、信仰深い男の方が「それならもう神を信じる他ないな。だって今こうやってお前は生きているだろ」と言います。それに対して無神論者は「神様ではない。2人の人がたまたま通りかかって道を教えてくれただけさ」と答えたのです。

 

こういった例を通し、Wallaceは私たちはこのように無自覚に「自分の信念や確信に何の疑問も持たず、狭い世界に囚われている」そして「そういった無自覚なことを見つめ直すことこそ、自分で考えられるようになるということ」と語っています。

"... arrogance, blind certainty, a close-mindedness that's like an imprisonment so complete that the prisoner doesn't even know he's locked up. The point here is that I think this is one part of what the liberal arts mantra of 'teaching me how to think' is really supposed to mean: to be just a little less arrogant, to have some 'critical awarenss' about myself and my certainties..." (357).

 

私たちには生まれた頃から「自分中心というデフォルト設定」が備わっています。他人の気持ちや考え方に触れる機会はたくさんありますが、Wallaceが言うように結局は「自分に関することは他人のことよりもはるかに深刻であり、緊急であり、よりリアル」なのです。

”[Self-centredness] is our default setting, hard-wired into our boards at birth. Think about it: there is no experience you've had that you were not at the absolute centre of. The world as you experience it is there in front of you, or behind you, to the left or right of you, on your TV, or your monitor, or whatever. Other people's thoughts and feelings have to be communicated to you somehow, but your own are so immediate, urgent, real" (357).

 

つまり私たちは常に「"自分の”レンズ」を通して全てを見てしまっているのです。そういった自己中心的な設定だけでなく、アカデミックな教育を通して私たちは自分の頭の中での抽象的な考えに囚われてしまいがちになり、実際に目の前で起こっていることにフォーカスしなくなっていってしまいます。

"Probably the most dangerous thing about an academic education, at least in my own case, is that it enables my tendency to overintellectualize stuff, to get lost in abstract thinking instead of simply paying attention to what's going on in front of me" (358).

 

Wallaceは教養教育の目的は「自己中心的な考え方から逃れ、さらにゾンビのように退屈なつまらない日々を回避し、どうやって社会人としての生活を心地よく過ごせるか」ということではないか、と言っています。

"And I submit that this is really what the real, no-shit value of your liberal arts education is supposed to be about: how to keep from going through your comfortable, prosperous, respectable adult life dead, unconscious, a slave to your head and to your natural default setting of being uniquely, completely, imperially alone, day in and day out".... "The plain fact is that you graduating seniors do not yet have any clue what 'day in, day out' really means. There happen to be whole large parts of adult American life that nobody talks about in commencement speeches. One such part involves boredom, routine and petty frustration" (358-359).

 

自分自身の考え方次第で世界は違って見えるわけです。

大人になるということは容易なことではありません。毎日似たようなルーティーンワークをすることや、理不尽な場面に遭遇することも多く、どうしてもフラストレーションがたまりやすくなってしまう思います。そうなるとどうしても自分の気持ちのみに集中してしまいがちです。

 

Wallaceはいくつかのシーンを例に出しています。

英文は少し長いのですが...

"By way of example, let’s say it’s an average adult day, and you get up in the morning, go to your challenging white-collar college-graduate job, and you work hard for nine or ten hours, and at the end of the day you’re tired, and you're stressed out, and all you want is to go home and have a good supper and maybe unwind for a couple of hours and then hit the rack early because you have to get up the next day and do it all again. But then you remember that there’s no food at home - you haven’t had time to shop this week because of your challenging job - and so now after work you have to get in your car and drive to the supermarket. It’s the end of the workday, and the traffic's very bad, so getting to the store takes way longer than it should, and when you finally get there the supermarket is very crowded, because of course it’s the time of day when all the other people with jobs also try to squeeze in some grocery shopping, and the store's hideously, flurescently lit, and infused with soul-killing Muzak or corporate pop, and it’s pretty much the last place you want to be, but you can’t just get in and quickly go out: you have to wander all over the huge, overlit store’s crowded aisles to find the stuff you want, and you have to manoeuver your junk cart through all these other tired, hurried people with carts, [...] and eventually, finally, you get all your supper supplies, except now it turns out there aren’t enough checkout lanes open even though it’s the end-of-the-day rush, so the checkout line is incredibly long, which is stupid and infuriating, but you can’t take your fury out on the frantic lady working the register, who is overworked at a job whose daily tedium and meaninglessness surpasses the imagination of any of us here at a prestigious college..." (359-360).

 

このようにWallaceは大人の生活のサイクルの中でよく起こるであろうイライラシーンを例に挙げています。簡単に説明します。

 

「あなたは一生懸命10時間働いて、疲れが溜まっているけど買い物に行かなければならないので家に帰る前にスーパーに寄るつもりだったのですが、道は大渋滞。やっとスーパーに着いたと思っても、人はたくさんいるし、照明の色は気に食わないし、店内のBGMや宣伝ソングも耳障りで、カートも思ったように動かない、さらにレジには長い列。買い物を終え、車に乗るものの、また大渋滞の道を通らなければならない。」

 

そしてこう続きます。

"...many more dreary, annoying, seemingly meaningless routines besides. Except that's not the point. The point is that petty, frustrating crap like this is exactly where the work of choosing comes in. Because the traffic jams and crowded aisles and long checkout lines give me time to think, and if I don't make a conscious decision about how to think and what to pay attention to, I'm going to be pissed and miserable every time I have to food-shop, because my natural default setting is the certainty that situations like this are really all about me, about my hungriness and my fatigue and my desire to just get home, and it's going to seem, for all the world, like everybody else is just in my way, and who the fuck are all these people in my way? And look at how repulsive most of them are and how stupid and cow-like and dead-eyed and nonhuman they seem in the checkout line, or at how annoying and rude it is that people are talking loudly on cell phones in the middle of the line, and look at how deeply and personally unfair this is: I've worked really hard all day and I'm starved and tired and I can't even get home to eat and unwind because of all these stupid goddamn people" (360).

 

こんな風にイライラするであろうシーンは大人になれば日常茶飯事なのですが、そんな時こそ「考える対象の選択」が必要になってくるのです。前に述べたように、私たちが生まれた頃からデフォルト設定として自分中心に物事を考える傾向があります。

 

つまりこういったシーンでイライラしてしまうのは私たちが常に自分の世界を中心に考えているから、常に「僕の/私の」疲労、「僕の/私の」空腹、「僕の/私の」辛さ、「僕の/私の」帰りたさ...となってしまうのです。

 

 

"The thing is that there are obviously different ways to think about these kinds of situations. In this traffic, all these vehicles stuck and idling in my way: it's not impossible that some of these people in SUVs have been in horrible auto accidents in the past and now find driving so traumatic that their therapists have all but ordered them to get a huge, heavy SUV so they can feel safe enough to drive; or that the Hummer that just cut me off is maybe being driven by a father whose little child is hurt or sick in the seat next to him, and he's trying to rush to the hospital, and he's in a way bigger, more legitimate hurry than I am - it is actually I who am in his way" (361).

違う例としてWallaceが挙げているのは、イライラしている大渋滞の中で自分の車を囲う大きな車やトラックや、横入りしてきた車など。きっと文句もたくさん出てくると思います。しかし見方を少し変えるだけで、違った解釈もできるのです。例えば「あぁ、今横入りしてきた車には怪我、もしくは病気の子供が乗っていて、運転手は早くその子供を病院へ連れていってあげたいのかもしれない...」と。

 

 

Wallaceはスピーチの中で、物事すべてを人の立場に立って考えろ、と偉そうにアドバイスをしているわけではないと言っています。もちろんそれは素晴らしいことですが、私たちは人間ですから、それをどう努力してもできない場合もあります。ただ彼は「物事の見方は私たちの考えることの選択次第でどうにでも変えることができる。そして何を信じるか、ということも結局は私たち次第である。それこそが唯一無二の真実である」ということを強調しています。

"... if you're aware enough to give yourself a choice, you can choose to look differently at this fat, dead-eyes, over-made-up lady who just screamed at her klittle child in the checkout line - maybe she's not usually like this; maybe she's been up three straight nights holding the hand of her husband who's dying of bone cancer, or maybe this very lady is the low-wage clerk at the motor vehicle department who just yesterday helped your spouse resolve a nightmarish red-tape problem through some small act of bureaucratic kindness. Of course, none of this is likely, but it's also not impossible - it just depends what you want to consider. If you're automatically sure that you know what reality is and who and what is really important - if you want to operate on your default setting - then you, like me, probably will not consider possibilities that aren't pointless and annoying. But if you've really learned how to think, how to pay attention, then you will know you have other options. It will actually be within your power to experience a crowded, loud, slow, consumer-hell-type situation as not only meaningful but sacred, on fire with the same force that lit the stars - compassion, love, the sub-surface unity of all things. Not that that mysterical stuff's necessarily true: the only thing that's capital-T True is that you get to decide how you're going to try to see it" (361).

 

 

「知識とは関係のなく、見失ってはいけないことなのに私たちの目にはなかなか見えないもの。それこそが真実であり、真の教育とは知識や成績や学歴よりも、何が真実で何が大切なのか、ということに気づけるようになること」

"It is about the real value of a real education, which has nothing to do with grades or degrees and everything to do with simple awareness - awareness of what is so real and essential, so hidden in plain sight all around us, that we have to keep reminding ourselves, over and over: 'This is water, this is water; these Eskimos might be much more than they seem'" (363-364).

 

魚の話を思い出すと納得がいくと思います。

魚にとって、なくてはならない大事な水であるのに、当たり前にそこにありすぎて「水が何か」ということが見えていないのです。真実とは魚にとっての水なのです。

 

”It is unimaginably hard to do this - to live consciously, adultly, day in and day out. Which means yet another cliché is true: your education really is the job of a lifetime, and it commences - now” (364).

真実を見失わぬように、意識的に大人としての毎日を過ごすこと。

これは難しいことですが、必要なことなのです。

そして、教育とは私たちに一生付いて回るものであり、

それは今、始めるものなのです。

 

 

イライラするような退屈な大人としての日々の中でも「考えるべき対象を選べるようになること」ができていれば、自然と違う角度から物事を見ることができますし、自分で信じる対象や意味のあるものを意識的に決められるようにもなります。そういった意識的な生活の中で、私たちは自分中心のデフォルト設定から抜け出すことができ、自然と他人にも目を向けられるようになるのではないでしょうか?

 

何をどういう風に考えて生きるか、というのは自分たちで選択できるのです。そしてその自分の選択次第で、世界は容易に変わって見えるんだと思います。

 

このWallaceのスピーチは、考えれば考えるほど深いです。

しかも、こういった意識的に考えるべき対象を選べるようになることの重要さを分かっていながらも、自らで命を絶ってしまったWallaceのことを考えると、なおさら深い気がします。

 

みなさんもぜひ読んでみてください!

のぐとも

 

 

 

星の王子さま

 

こんにちは、のぐともです。

今回は皆さんご存知であろう名作、「星の王子さま」についていくつか私なりの考えをまとめていこうと思います。

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画像引用元:

12 Charming Facts About The Little Prince | Mental Floss

 

 

以前アメブロの方で書いたかことがあったのですが、誤字脱字も多くみられたので所々編集しつつ、新たに感じたことなどを加えていきます!


星の王子さま、小さい頃に1度読んだことがあったのですが、ある程度大人になった今、読んでみたらどう感じらのかな、と疑問に思い改めて読み返してみました。


子供の頃はただなんとなく読んでいただけでしたが、今読むと「なんて難しい本なんだろう」と感動しました! この本はもう哲学書と言っても過言ではないと思います。とても深くて、考えさせられる本です。

 


そんな星の王子さまの中でも特に私が「深いなぁ」と感じたポイントを少しだけ紹介します。本の内容を知らない方でも理解していただけると思いますが、まだ読んだことがなく、ネタバレが嫌な人はまず実際に本を読んでからぜひ戻ってきてみてください!


ちなみに原作はフランス語で、いろんな国の言語に翻訳されています。日本語だけでも色んな方が翻訳をされていますが、私が読んだのは浅岡夢二さんのkindle翻訳バージョンです。

こちら↓

https://www.amazon.co.jp/%E6%98%9F%E3%81%AE%E7%8E%8B%E5%AD%90%E3%81%95%E3%81%BE-%E3%82%B5%E3%83%B3-%E3%83%86%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%9A%E3%83%AA-ebook/dp/B00BLC2EH8

 

 

かなりたくさん素晴らしいシーンがあるのですが、私が特に「深いなぁ」と感じたのは砂漠での場面。

 

パイロットと王子さまは喉がカラカラな中、井戸の水を求め砂漠を歩き回り、やっと見つけた井戸の水を2人で飲んでるシーンでのパイロットの一言。

"その水はただの水ではありませんでした。星の下を長いあいだ歩き、滑車をすべらせ、ぼくの腕を使って汲み上げた水でした。それはまるで素敵なプレゼントのように、王子さまのハートの栄養にもなったのです"

 

これ、ただ響きの綺麗な感想のように見えて、実はとても深い意味が隠されてるんですね。

 

ただの水のはずなのに、彼にとってはただの水ではなかった。なぜなのか?

 

奇跡のようにただの水がキラキラして見えたのは、王子さまとパイロットがたくさん歩き、たくさん時間をかけて自分たちで見つけた水だからだと思うんです。

 

もし人から水を与えられたとして、その時は水が飲めたことに満足して2人はすごく感謝することでしょう。なんせ2人とも極限に喉が渇いていたわけなので!

 

しかしこの文章が表しているのはそういった表面的なことじゃなくて、本質的なことだと思うんです。

 

たとえその時は水が与えられたことに喜んだとしても、1週間でも経てばそんな事などきっと2人は忘れてしまうでしょう。

 

でも王子さまとパイロットが得た水は彼らが時間をかけて、自らの手で得たもの。つまり、他人からしたらただの水でも、彼ら2人からしたらキラキラしていて当たり前なのです。

 

だからこそキラキラの水は2人の喉だけでなく、きっと彼らのハートも潤わし、この時に飲んだ水の味は彼らの中で一生消えることはないんだろうな、と感じました。

 

 

その水を飲んだ直後にパイロットが自分の幼少期の思い出を語るシーンが、さらに深くキラキラの水について触れてくれています。

"ぼくが子どもの頃、クリスマスになると、クリスマスツリーにイルミネーションを飾り、真夜中になるとミサの音楽を聞き、両親や兄弟たちの優しい微笑みに囲まれて、うれしい時間を過ごしました。そんなときにもらったプレゼントは、とっても光り輝いていたものですが、いま王子さまが飲んでいる水も、そんなプレゼントに似てキラキラ輝いていたのです。"

 

このパイロットの話に基づくと、水がキラキラして見えたのは2人が時間をかけ自らの手で得たものだから、という理由とは別の理由が汲み取れました。

 

パイロットは、自分が小さい頃クリスマスに貰ったプレゼントに対して表面的な評価は一切していない気がします。彼にとって何を貰ったかはさして重要ではなく、みんなと楽しく時を過ごしているときに貰った物だからこそ価値があると考えている、という事が伝わってきました。

 

つまり今回の井戸探しは、時間をかけ、尚且つ王子さまとパイロットの2人で共に得た水だからこそキラキラして見えて、他の人からしたらただの水でも2人の生涯ではたった一つしかない大切な水へと形を変えていったのかな、と思います。

 

きっと他人から与えられた水、もしくは1人だけで見つけた水は、彼ら2人が一緒に探して見つけたこのキラキラの水ほどの価値はなかったでしょうね。

 

 


さらにこの「星の王子さま」の中には王子さまにいくつかの助言をするキツネというキャラクターがいるのですが、実はこのキツネ「名言製造機か!」と思うほどに名言ばかり生み出すんですよ…

 

キツネが王子さまに言ったことは、私たちが大人になるにつれて忘れていくものに改めて気付かせてくれている、重要な教訓なんだと思います。

 


例えば有名な名言のひとつ

"とても簡単なことさ。それはね、ものごとはハートで見なくちゃいけない、っていうことなんだ。大切なことは、目に見えないからね"

そう、目に見えるものが全てじゃないんですよね。大事なのは表面的なことじゃなく、物の本質を見抜くこと。恋愛も当てはまるんですかね?人の気持ちは目に見えないですしね。

 

続いての名言はこちら。

"君がバラのために使った時間が長ければ長いほど、バラは君にとって大切な存在になるんだ。"

 

本の中ではバラですが、これはどんな事にも当てはまるんじゃないかな、と思います。さらに、どんな目線でこの本を読むかによっても変わってくるはずです。親にとっては子供であったり、ある人にとっては恋人であったり、あるいは留学している国、仕事、学校であったり……

 

最初に紹介したキラキラの水についてのシーンと同じですね。自分がきちんと時間をかけたものだからこそ、他の人にとってはただの水でもただのバラでも、自分にとっては意味のあるものになる。他人には理解されにくい、自分にしか価値が理解できないこともこの世にはきっとたくさんあると思います。

 

さらに、この王子さまの一言がまた深く説明してくれていると思います。

"キミたちはきれいだね。だけど、まだ中身がない。だれもキミたちのために死のうとは思わないはずだからね。もちろん、通りすがりの人が見たら、ボクのバラもキミたちもまったく同じに見えるだろう。だけど、キミたちをぜんぶあわせたとしても、ボクのバラにはかなわない。あのバラは、たった一輪でも、キミたち全員よりも重要なんだ。なぜなら、ボクが、水をやったり、ついたてを立てたり、ガラスの器をかぶせたりして世話をしたからだ。"

たとえ同じバラであっても、王子さまが長い間世話をして、愛情を注ぎながら一緒に過ごしてきたバラはこの世には一輪しかないんですね。 

 


他にもたくさん名言や教訓があると思うんですが... 実際に読んでほしい!!!言葉じゃなくて、実際に読んで実際に自分自身でそれらを感じて欲しいんです。きっと各々で感じ方や捉え方は違うでしょうしね!

 

また読んでみたら違う考え方も出て来たりするんだろうな。

そう考えると何度も何度も読み返したくなる本の一つです。

 

のぐとも

私が留学を勧める本当の理由

 

こんにちは、のぐともです。

今回は私が留学をオススメする理由についてまとめてみようと思います!

 

一番多くの方が想像する留学の主な目的...それはやはり英語の習得だと思われます。その次に多くあげられるであろう理由としては、いろんな国の文化や人と触れ合う機会だったり、経験を積むことだったり...でしょうか?

 

実際、私が15歳で留学を決めた時の理由は英語力でした。当時は英語部というミュージカル部に所属していて「英語が理解できればもっとキャラクターに感情移入できるのに…」と思ったのがきっかけです。

 

しかし留学歴が6年目となった今、「留学してよかった」と思う理由が変わってきているのです。

 

もちろん英語が話せるようになってよかった、と思うことはたくさんありますが、よくよく考えてみると、こっちに住んでいれば英語が話せるのは当たり前なことなんですよね。日本に帰国したら英語が話せる、というだけで少しだけ株が上がるのかもしれませんが、こっちにいると英語が話せたって何の意味もないんだなぁ、と思うことが多々あります。

 

何年かの留学を体験して感じたのは...

英語力でなく「自分の頭で考えられるようになること。そしてそれを自分の言葉で伝えられること」がもっとも重要であり、そういったスキルが得られるのが留学なのではないか、ということです。

 

実際私は今、自分の英語力よりも自分の考えや意見などにもっと自信を持っています。「自分の意見が絶対正しい!」という感じで自信を持っているわけではなく、自分の意見をためらうことなく言うことができる自信です。

 

これは日本の多くの教育機関では一番つきにくい自信ではないかと思います。全ての学校や教育を一括りにするわけではありませんが、日本では若いうちから自分の意見を求められることもなければ、他人の意見をシェアするという機会も少ないですよね。むしろ自分の意見を言うと煙たがられたりすることも多い気がします。

 

そのせいか、私もカナダに来たばかりの頃は自分の考えを持っていないどころか、考える力すらありませんでした。むしろ考えようともしていなかった気がします…

 

それが今では、日々の普段の生活の中でふと目についたことですら延々と考えを巡らせる事が当たり前になりつつあります。

 

きっと留学をしていなかったら、私は考える力を身につけることができなかった気がします。もちろん日本でもきちんと考えを持ってる人はたくさんいます。それでもやっぱりカナダの友達の方が考えを持ってる人が多い気がします。

 

日本にいる時、友達とは楽しい事をするために一緒にいることが多いんですが、こっちの友達といる時はやる事が少ないせいか(笑)、本当に色々な話をします。政治、教育、経済、恋愛、哲学、心理学… ジャンルを問わずにお互いに自分の考えをぶつけ合います。時には意見の衝突なんかもありますが、「あー、そういう考え方もあるんだ」「なるほど」と納得することや、学ぶ事も多いです。

 


留学に来て、考える力を身につけ、さらにその考えをきちんと言葉にする大切さを学びました。

 


日本では本音と建前という文化もあるせいか、私たちは自分の本当の感情や考えを押し殺しがちです。もちろんそれが完全に悪いということではありません。それがあってこそ今の日本が成り立っていると思うので。


ただ、それでも私たちは自分の意見を持たなすぎていると感じます。日本の教育は「社会や周りに同化、またはフィットする」という事に重点を置いてしまっていて、私たちの個を活かせる場は多くありません。


先生がただひたすらレクチャーをし、生徒は座ってノートを取る… こういった教育で、どう私たちの考える力が伸びるというのでしょうか?教養を教えることは確かに大事かもしれませんが、教育とはそれだけでいいのでしょうか?


一方的に私たちの考える力を制限しておいて、社会に出たら「さぁ、考えなさい」と私たちに考えを求め、期待していた答えじゃないと「こんなことも考えられないのか」と責められる。そんなの不公平すぎます。


考えられなくて当たり前。だって考えを殺すような社会や教育に支配されてきたんですもん、なんて生意気にも思ってしまいます (笑)


でもきっと意見ばかりしていると今度は「生意気だ」と嫌われていくのです。


自分の意見を言っただけで煙たがれる、なんて環境があっていいわけがないのに。


どうして意見をたくさん言っているだけで「媚びている」「頭いいアピール」などと陰口を叩かれなくてはならないのか…

不思議でなりません。


むしろ考える力もなく、周りに同化し、自分の意見すら持たないことの方が恥ずかしい事ではないでしょうか?きちんと自分の意見を持って、胸を張って「私はこう思うんだけど、あなたは?」と言える人の方がよっぽどカッコいいです。


そもそも意見はただの意見なんです。

言ってなんぼ。

聞いてなんぼ。

ぶつかってなんぼ。


意見に間違ってるも正しいもありません。それはただの個人の考えです。そして、そういったたくさんの個の考えが集まって、衝突や妥協を乗り越えた先に更に新しい考えにたどり着くんだと思います。


自分の意見を持つには、まずは考える力が必要です。残念ながら私が15年間を過ごした日本での学校教育では考える力を身につけることはできませんでした。


でも留学に来て、考えることの大切さを学びました。むしろ自分の意見が言えない、もしくは持ってないと呆れられることもあります。「なぜ自分の意見がないのか」と。


高校の頃、英語のクラスで、クラスメイトが発言した後に先生が私に「あなたはどう思う?」と聞きました。その時の私は考える力も英語力もなく、ただ「彼女と同じ意見です」と答えたんですが、その時に先生に言われた言葉を私は今でも覚えています。


「彼女と一字一句同じ考えだって言うの?あのね、全く同じなんてないのよ。例え同じだとしてもきちんと自分の言葉で言いなさい。あなたの意見はあなたのものなの」と。


確かにその通りすぎて、その時は何も言えませんでした。当時はただひたすら自分の意見がなかったのです。


だって15年間「周りと一緒である事」が当たり前で、自分で考える必要なんて全くなかったから。


だけど高校、そして大学留学を通して、クラスで意見を聞かれる事がほぼ毎日のようにあり、自分の意見を聞かれて答えられないなんて恥ずかしい思いを二度と経験したくはなかったので、例え小さな事でも思ったこと、感じたことは全て発言するようになりました。


プレゼンテーションやエッセイなども多くあり、それらを通して自分の考えを形や言葉にする方法も学びました。そうして私は考える力を身につける事が出来たのです。


もちろん日本でもそれらを得られないわけではありません。ただ私の場合はきっとあのまま日本にいたら、考えることの楽しさも、それを周りと共有する嬉しさも知ることはできなかったと思います。


今は何でもかんでも毎日考える事が楽しいです。特に教育についてだったら延々と考えていられます!私の考えに共感をしてしてくれる人がいると嬉しさが倍増するのです。そして、そんな私の考えよりも断然素晴らしい考え方を持つ人を発見するとより嬉しさが倍増します。


少し考える力が身に付いただけでも、世界は今までより違って見えます。きっと疑問に思うことも増えると思いますが、今まで見えなかった、もしくは気づけなかったことに気付けるキッカケなのです!

 

 

最後にもう一度言いますが、私が留学をお勧めするのは英語力を身につけるためではありません。正直、英語力だけなら日本でも十分可能な環境はたくさんあると思います。


私が留学を勧める本当の理由は、日本ではなかなか得ることが難しい「考える力、その考えを表現する力、そして共有する喜び」を学ぶ事ができるからです。

 

 

これこそ私が今「留学してよかった」と

心から思う理由なのです。

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のぐとも

The presence of ableism

 

こんにちは、のぐともです。

Educationのクラスでビデオを作りました!

よかったら見ていってください!

 

www.youtube.com

 

のぐとも